1990年秋の全国展に参加して 唐杉 純夫
平成3年/1991 No.6 掲載
まだ残暑の厳しい10月初旬に、東北では最盛期という花巻にばらを持って行くなど心得ちがいもはなはだしいというのが大方の見方ではなかろうか。しかし、やむにやまれぬ大和魂、せめて一太刀なりと浴びせんと、これはまさしくドンキホーテ。12本のサンチョパンザをひきつれて馳せ参じることと相成った。
イ. 花を剪りダンボールにつめる
10月6日3時30分に目が覚めた。やや興奮気味。台風の影響で小雨がパラついていたのでシマッタと思い、ない花にムリに願いをこめて、まずコンフィダンスを見舞いに。見るとちょうど間に合いそうな風情。笠をさしかける作業を始めた。ディオールの鉢物を倉庫に移動させていたのでそれものぞきに行く。夏花は夏花として何とか持って行けそうなのがアルテス75、フロージン82を各1本、コンフィを2本、ディオールが8本計12本というところで、このなかで何とか良さそうなのがコンフィダンスたったの1本だった。
これらを花市場から調達してきたダンボールを加工し高さ80センチにして、中にプラスチックのちり箱をセットし、水を3分ぐらい入れてOK。ただし80センチでは高すぎてタクシーの座席を濡らし、運転手に迷惑をかけてしまった。70センチにしなければだめだ。
口. 花巻までの足
10月6日16時26分有明にて大牟田駅発。同17時39分あさかぜ4号博多発に乗り換え後、さらに静岡で乗り換えて10月7日7時20分静岡発ひかりにて東京着、上野から の東北新幹線にて新花巻着12時7分。 折り悪しく前日からの台風のため飛行機が飛ばないかも知れないというので、柳川の藤吉さんなどは飛行機をキャンセルし、JR に切り替えというハプニングもあったが、最初から飛行機の苦手な小生はそんなことなど何処吹く風と交通機関の心配はしなくてよかったが、もともと遠方の上、時間がかかりすぎてとても競技のできる状態にはなかった。
ハ. 車中雑感
JR フルムーンにて妻君と同道である。妻君はコンテストには大して興味なく、でっかいダンボールを持って行くのが不満らしくグッグッ言っている。「こんな花持っていても勝てるわけないのに。」これは鉢植えを剪った蕾みのかたくやや小ぶりのディオール群のことをいっている。
釜瀬さんにコンテストにあわせたつもりの剪定日を話したところ、「それは惜しかったね。多分間にあわないと思うよ。だれかに相談したの? 内藤さんにきいてみたら どう?」
もともと季節的なハンディがある上に、タイミングも合っていないという御託宣では泣き面に蜂だったが、そ れはそれでグッとこらえてこの日を待ったのだったが、 やはり大先生の言われることに誤りはなく、ちょうど3日ほどズレていた。
今年はコンフィダンスに異常なまでに執着しており、その結果も出そうな感じだったので、期待していたのだが持って行っている1本だけが頼みのつなで、あとは枯れ木も山の部類だった。
車中で2回 JR 車中の冷たい水と入替えて抜け目なくやったつもりがこれも結果的にどうだったか。
新花巻ではマイクロバスが迎えに来てくれていて、懐かしの面々がチラホラと見えたが、少し早めに着いて東京で道草をくってきたという久留米ばら会の藤吉さんたちとちパッタリ。びっくりした。
二. 会場にて
さあ着いた。一応の期待を込めて会場準備室に入り、 ダンボールを開け、わが作品の出来をおそるおそるのぞきこむ。と一番期待の、わがコンフィダンスがパンク。 これでいっぺんに戦意喪失。あとは野となれ山となれの心境と相成った。
何故かは知らないがコンフィが進んでしまった外にはディオールもアルテスもフロージンも進んでいなかった。もう1本のコンフィは葉がわるく、さすがに花だけでは勝負できなかった。しかし、せっかく来たのだからというので記念に2花にディオール、3花にフロージ ン、ディオール2を出品した。こんなつらさはもう2度とごめんだ。付き合いかねる。このつらさは次回からの 踏み台にしないではおかないぞ。
いまにして思うのだが、勝負は出発以前に決ってお り、上森師流にいえば、技術水準が同じならば、会場に近いところほど有利なわけで、まだ残暑の厳しい九州の10月初旬の夏花では到底勝てるわけがなく、もしかりに東北、北海道に敵がいないとしても、東京茨城群馬埼玉の関所を越えられるわけがないではないか。ということになるらしい。(そう言っていたご本尊も花がないないと言いながらもって来ていた。これをどう解釈する? ただ出品し、そして負けて帰っただけではない筈だから。)
ホ. 花をみて感じたこと
1花は北海道の太田善明氏のディオールが1等だった。大きくてシンがキューッと立っていて威風堂々のディオールで九州では大きさはそこそこになってもシンはとてもあれほどまでには上がらない見事さだった。また太田氏はガーデンパーティーも出品しておられてこれもまた見事な出来栄えだった。ただ黄色味がちょっと足りないような感じがあり、それが1等を譲ったのかと思った。北海道の真柄修一氏のレッドライオン、秋田の鷹嘴 (たかのはし) 文男氏のあけぼのが2等を分けたが、1等から2等まで3作品ともどれを取ってもよいできばえで特に僕の好みから言えば九州のあけぼの以上に色が出ていた鷹嘴氏のあけぼのに軍配を上げたかった。
2花はどれもいまひとあじ欲しい作品が並んでおり千葉の渡部佐代子氏が清涼殿で好運な1等に選ばれた。上森氏はレディラックであわよくばと狙っていたが審査員の眼にとまらず(端っこにおいていたので)カスリもしなかったと悔やむことしきり。2等か3等には入賞してもおかしくない花だった。岩手の川村八重氏の武州、鷹嘴氏のメルヘンケーニギンが2等を分けた。青森の北岡繁次氏のサマーサンシャインが3等1席となったが九州では見られない黄色の深みと大きさ、それに花持ちのよさ(翌日会場に再見したが寸分も進んでいなかった。九州ではそんなわけにはいかない。) すっかり参ってしまった。入選は逸したがランドラもひと味大きい花容をみせ、黄ばらは東北の印象を強くした。
3花では何といっても茨城の近藤広氏のメルヘンケーニギンが完全に他を圧していた。これが出廻るとロイヤルハイネスを完全に駆逐するだろうというのが会場での専らの評判であり、いままでのピンクの概念とちょっとかけはなれており、いかにも外国の作出の感じで、絵画でいうとサンローラン風のどことなくアカ抜けがしている。上品な薄いピンクでシャキッと立っている様は何んとも言いようがなく美しい。
春には関東地方を総なめした品種らしいし、今年一番評判を集めた品種であることは間違いのないところ。
ばらだよりでも伊藤良順氏が紹介しておられるが、以下は近藤氏の紹介。
栽培はコンフィ並み。ただ葉がなかなか5枚葉になってくれないこと、シュートピンチで勢いのあるステムよりもやや弱めのステムから5枚葉が出る。ドイツコルデスの作。近藤氏はこれを幼苗5本で栽培、受賞したといわれる。まさに名人芸だ。
2等は真柄氏の武州、川村氏のランドラで分けた。ともに出来のうえからだとメルヘンに劣らないと思われるが何しろアッピール度が歴然としており、それがすべてである。
5花の会場は入って左だったが、まず眼を奪われるとしたら、マダムヒデの5花以外になかった。批評というものはまず第一に印象である。イメージで大きくとらえてそれから細部にかかっていくのだが、パッとみて強烈な印象であればあるほど細部にかかったとき容易に印象から脱却できないもの。それをうまくとらえた鷹嘴氏のステージング技術のうまさが1等を勝ち取った。
よくみると5花のうち5枚葉が随分と欠落しており、 ステムも短い。これでどうして1等かという代物。2等は岩手の吉池貞藏氏のソニア、千葉の石橋五夫氏の武州、3等1席に川村氏のロイヤルハイネスと続くがどれももう一歩のデモンストレーション効果が足りなかったことになる。考えてみると、コンテストとは恐ろしい要因を含んでおり、実力プラス錯覚効果、これを無視しては勝てないのだということをよく教えてくれた。大いに参考になった。
マダムヒデは地元福岡の太田氏の作出によるもので、 宇部の原田会長のひさみに似た花容で鷹嘴氏の言では割りに作り易いほうだという。剣弁も立ちなかなかの作品であったが、九州だとどうなるか。作り込みが必要のようだ。
ホ. むすびに
今年の東北での全国展出品については、上森氏の言を借りるまでもなく、優勝しようなど大それた考えで参加したわけではなく、飛行機に乗れないのと、夏花ではどっちみち入賞もできないだろうということで、最初は行こうか行くまいか随分迷った時期もあったが、エイッと思い切り会社を4日も休み、妻君を説得し、フルムーン旅行としゃれ込んだわけ。
日本という緯度の立った環境のなかで、東北、北海道のばらが九州のばらとたがいにベストの状態では争い得ないのだということを思い知った点で、僕なりに納得して帰ってきた。
だからと言って九州のばらをもう北海道には持っていかないと断言しているのではない。
この悟りが時間とともに薄らぎ、やがて1年後、2年後にはまた、勝負ショウブとわめき廻るだろうことも、かの上森師の言動をもっても容易に理解できるのである。さよう、ばら作り技術は気候条件を超越しているものでありまして、いやそうあるべきものでありまして―――。
平成3年1月3日記