ページ

ローズ・ふくおか アーカイブス 1989-6「1988年秋 ことしの決算」

1988年秋 ことしの決算   唐杉 純夫
平成元年/1989 No.5 掲載

はじめに

 本格的にばらを初めて、まだ2サイクル2年を数えるに過ぎない。昨年春に相馬大文字で1部1花でカップを貰って、昨年秋はランドラで1花、桃山プリスタインで2部2花でカップ(これで1部卒業)、今年春には大文字レディXで2部2花でカップ、レッドライオンで人も羨む第1回の釜瀬杯を獲得し(これで2部卒業)いつの間にか3部に押し上げられてしまった。本当のところを言うと、たまたまのまぐれ当たりの感じが強く、とても3部のメンバーで戦えるとは思えないのだけれど、そこはこの熱いハートでここ暫くは善戦健闘する以外ないと覚悟して、この秋に臨んだ。

 ことしの秋の天候は高温続きで、庭の最高最低温度計が最低温度10°Cを割ったのがたったの3日。このため、通常の予定開花が概ね1週間は早目に来てしまい、全国展用の花は終わるし、福岡展用のものが全国展に流れ、 福岡展には1本もないという惨たんたる乱気象であって、とても良い経験になった。もともと1年〜3年苗で花が多いわけでもないのに、目標を全国展用、福岡展用と分けて剪定しているものだから、全国展用にはシフトしてきた福岡展用が少しあって助かったが(ただし佳花はなかった)福岡展に及んでは、持って行くのもはずかしい出来ばえのものばかりだった。高温続きは花としての熟成期間が短くなるため、良い花も咲きにくく、せっかく半年間も丹精こめた結果がこんな花かと己れの技術力の稚拙さを天候のせいにしては慨嘆するのだった。

全国展の記録

 このような気候条件であるから、庭にある花もどれもこれも良いのがなく、いっそのこと手ブラで行こうかと思ったくらいだったが気を取り直して切ったのが、あけぼの3、ディオール8、コンフィ3、アルテス3、武州3、香久山彩雲秋月各2の計22本。むろん、駄花はこの時期は連日40〜60本は切れるので、この日と翌日にかけて開かれる大牟田ばら展への出品は飾り花兼用で間に合わせることにはしていた。前夜は23時迄翌日の準備やら、前剪りやらで起きており、翌日は2時に起きたのでその間3時間しか寝ていない。皆んなで待ち合わせている空港時刻に間に合わせるため5時には家を出てバスに乗らねばならない。これも3時間しかない。この僅かの時間で切った花の準備やら、大牟田ばら展出品の名前つけなど家内に手伝わせてのてんやわんやのひとときである。こんな具合だから、大神先生の勧められるカレンダーのメガホンに挿しこむようなことはできずに、花首から60cmくらいの長さに切ったものを根元でそろえ強くしばり、上方の葉の部分をゆるめに新聞紙で固定し万能縄でくくって出来上がり。花にはもちろん白い綿帽子をかぶらせた。

 もともとぼくは飛行機が苦手で(着陸のとき耳が痛くなる病気持ちで、小林さんが絶対痛くならない方法を教えると言われて乗ったが、結局だまされた)全国展の3日前までJRで行くことにしていたが、JRと飛行機の差は約6時間、JRは車内が暖かいというが、空港までの1.5時間のバスは結構揺れ振動があり温度も高かったので、絶対に飛行機が有利とは言えないと思う。

 釜瀬さんや上森さんが良く言われる。『花自体の出来がコンテストに占めるウェイトは1/3にしかすぎない。あとの1/3ずつは運搬(移動)時の温度、振動など諸条件、それにドレッシング(技術)である』と。飛行機での機内温度、会場の温度など、剪定時の開花度では到底コントロールできない面があり、その為展開度を種々に変えたものを持っていかねばならない。これぞ遠距離のハンディキャップなり。

 さて板付空港に集った面々は釜瀬さんは別格として、小林、東御夫妻、山本それに末松さんといった強敵メン バー。それぞれの顔つきを見ていると、それだけでおじ気づいてしまい、もうここで勝敗あった感じである。 特に山本さんあたりは3〜4分位の硬い花を中心に、どれもこれも皆良さそうな口ぶりで、声が大きい。

「あんた、こげな開いたつば持って行ったっちゃ、つまるもんか、 パンクするに決まっとる」
「そげん言うたっちゃ、無かけんしょんなかろもん」

 小林さんはポリの丸いゴミ入れの両端をヒモで肩から吊り、その中に30本ほどの愛培花を持って来ござる。その格好たるや色気もなにも有ったものじゃなし、まさにアネ御女傑の風情。東さんは去年の大阪にこりて、ことしこそはと眼が輝いて意気盛んが御夫妻の雰囲気からモロに伝わって来る。末松さんも、きれいに包装した1本1本の花のワタ帽子のあたりから今年こそはの妖気が漂って来る。こうした中でひとりぼくの心中はこれからフライトする機中の命がけの不安と自信喪失とで、ああ来なけりゃよかった乗らねばよかったナンマイダナンマイダーの心境だった。

 苦しかった機内から解放され、会場に到着すると、会場は第1会場、第2会場に分かれており、手前の第2会場ではすでに宇部ばら会の強者たちが準備中であった。 佐藤、西本静、牛尾、三浦、原田、中城、それに西本さんたちが大勢して。京都の亀山さんも。受付をすませた後、近くのスペースを利用して、チリカゴ入れに挿して持ってきた22本の花の御開帳の段となったが、すぐ横では亀山さんが赤い大きいディオールディオールディオールを大きいバケツに荷ほどきの最中で、暫くの間圧倒されてしまって、穴でもあれば入りこんでしまいたいくらいの羞恥心でもって、『これも経験なのだよ』と言いきかせながら、つらい1本1本をバケツに入れていくのである。

 福岡の同行のさむらいたちは全員第1会場の方に行ってしまい、第2会場にはぼくひとり。『さてどれを出そうかなあ』『良くないのを承知で出すこのつらさ』とか、ひとりごとを言いながら品定めするのである。時間も刻々迫り、あまり余裕もなくなってきている。あれやこれや自己流で品定めの末、アルテスを3本、ディオールを3本、あけぼの2本、香久山武州を各1本の計10本を抽出し、この組み合わせで臨むことにした。この中で1花、2花、3花を選ぶことになるのだ。近くに西本静さんと中城さんがおられたので尋ねたところ、使えそうな花がディオール1本、あけぼの2本、アルテス3本、香久山1本で、良く出来ているとほめてもらった(お世辞にしてもこの場では地獄に仏である。慰めがある。有り難い、うれしい)。そして1花にあけぼの、2花にアルテス2本、香久山ディオールと2つ出すことにした。

 あけぼのは2本あった。1本は色は実に良く出ているが枝直しが出来ていない。いまいちだ。もう1本は枝ぶりは良いが色がもう1本より良くない。中城さんも西本さんも同じように言われた。審査の直前までいじるな、決めるな、色が出たらこれを出せ。結局、枝がいまいちだが、色が凄いのを出すことになった。

 アルテスの2本組みは、はっきり言って「捨て花」で単に慰めで持って来たつもりのものだった。それが会場に着き時間が経過するにつれて固かった蕾が開いてきて、ほど良い展開になっていったのである。色はアルテスの持ち味を良く出し、上品に仕上がっている。ただ難を言うと、2本の開花度に若干のズレがあり、左側がちょっと大きく見えることであった(ただしヌードモデルのオッパイの片方だけ目立って大きいというようなのではなく、「良く見える」というところ、ここが却ってバランスを保っていると言えるかも知れないのだ)。ただ、 一緒に参加出品しておられた岩隈さんが、この花を大そう褒めて下さったこともあって、本選の始まる間、『ヒョッとすると、ヒョッとするかも』と甘い夢を見ていたのも確かである。ぼくは今回は6位まで入ればそれが目標だったのだから。

 香久山ディオールの2本組みは、実を言うと香久山を1花で出したかった。ことしの香久山はほとんど終わってしまっていたが、残照3光のうちの1光、それもあと1〜2日あればという花だった。「どうせ1日遅らしても、コンテストがあるわけじゃないし」という花はざらにある。最初は余りに固すぎて、ディオール2花とかディオールあけぼのとかの組み花しか念頭になく、どれも良くなくて最後に香久山ということになったのが実状であった。

 審査は1花から始まった。1花には優勝された小林さんのあけぼのがあり、それとぼくのあけぼのが同種であるハンディがあった。それでも第1次予選の15花の中には入れてもらえた。それから9花までの第2次予選があり、これでふるいにかけられ、落とされた。 よく「れば、 たら」と言われるが、ぼくのあけぼのに枝直しがされてたら小林さんに勝ってたかも知れない、色がとても良く出ていたからだ。『ああ惜しかった』と思うと同時に、確かな手がかりを摑んだ。もうこれで満足、ああ楽しい夢を見れた。

 次の2花のコンテストでも、いとおかしの経験をした。 2花は全部で30作ぐらい出ていたが、その中で出品したぼくのアルテス2花と、ディオール香久山の2花は、第2次予選の9番目の椅子をお互い出たり入ったりの争いを演じたのである。結局アルテスが最終予選にノミネートされたことになるが、両方ともそこらあたりにあることが判り満足だった。ここでまた小林さんが登場する。小林さんも2花を2作品出していて、それは両方とも最終に入っていたので、彼女曰く「惜しかったね、わたしのを1つ引っ込めておくと、両方とも入れたのにね」と憎たらしい。問題はその辺りの実力であり、それ以上にはなれなかったということなのであるが、これには又後日談がある。今度は上森さんの登場である。「お前のアルテスはあれはだれが見たのか、惜しかったのう。あれは俺が見とると絶対優勝出来とったぞ」と、こういう次第。これも「れば、たら」の話なのだし、「ユウショウ」なのか その頭に「二」がつくのか確かめなかったが、これも甘い夢を見たことには相違ない。

 ところでわが福岡バラ会の全国展の成績は1花では小林さんがあけぼので優勝、山本さんが香久山で3位2席を獲得(これで彼の弁舌はますますさわやかになり、しばらくはそこいらには居れなくなるだろう)、小林さんは2花でもビオレみずほで3位3席、3花でも3位1席を取った。上森さんは3花で優勝(武州レディラック2)というように、福岡勢は圧倒的な強さを見せた。ただ残念なのは東さんのビッグチークブルーリボンが会場に着くまでは何とか持ちこたえたのに、時間とともに開花が進み、ついにはパンクというハプニングが起こり、 気の毒であった。特にビッグチークがあればこれは凄かったろうと思う(これは謙遜されて恐らくヤミに隠れてしまうと思うので御披露しておきたい)。

 来年は東北は花巻温泉の花巻市が全国大会場である。 距離のハンディをカバーするべく、あけぼの武州香久山相馬など打ち揃えながら、ディオールコンフィ、はてはライオンなどのドレッシングなども修業をつみ、 シンカンセンでも乗り継ぎながら馳せ参じますかな。

福岡ばら展の記録

10月28日(金)

 福岡バラ会初日、花もないし、休みも出来ない。サラリーマンにとって、こんなにつらいが割り切りのいる日はない。1年の総決算の第1日目を去年は何とか逃げて来たが、ことしは仕事が3つも重なり身動き取れない。 もともと金曜日というのは休みにくい日にあたる。

 花もない。10月22日の本部展のときは、実力相応の甘い夢も存分に見せてもらったし、それなりの経験もつみ花もそこそこのものがあったが、大牟田というところの気候、今秋はとくに暖秋で、花が1週間早く咲いてしまっている。ライオン3、丹頂3、アルテス2、そどほり1、相馬1、レディXブルームーンコロラマディオール各2が咲き、あとはもうなし。これで、29日 (土) 30日 (日)で間に合わすのだ。

10月29日 (土)

 3部に上ったら出品種目が限られ、今日は1花と10花しかないことが判った。1花にはパーフェクタ(これは昨日は気がつかなかったが、ぐんぐん良くなり、最高の出来ばえとなった)とディオールを出そう(こいつも仲々良い)。問題は10花だ。あるやつを全部切ってもどうだか判らん。と言って出さないのはどうも口惜しい。そこで血を吐くような気持で切って行った。明日はいよいよないぞ。

 10花は3-4-3のゾーンにした。第1列に武州ホイエル武州。第2列に、あけぼの三笠ライオンあけぼの。第3列に、レディXディオールアルテス75 という具合、結局人賞2席となった。反省は、三笠のところに2花に出したディオールを持って行き、あけぼのをもうすこしていねいに活けたらかなりの上位が望めたろうということ。三笠はとうとう良いところなく、今年暮れには「コンテストさよなら」となる。ちょっと小ぶりなのとシンが上がらないのと優雅さや偉容さや何でも良いのだが、アピールするのがない。樹勢はあるのだがなあ。

 1花のパーフェクタではとうとう2期連続の釜瀬杯が取れなかった。シンは良く上がり美観もあったのだが、山本流に言うと「本部展の東北のパーフェクタを見た釜瀬さんであってみれば、やはり見劣りするよ、この花では」とこうなる。村井さんの持って来たあけぼのは、いままでぼくの見てきたあけぼのとはちょっと違い、村井さんの人柄のにじみ出た遠慮がちの品の良いところが良く出ていたが、反面色としての迫力にはやや乏しい不思議な花だった。あけぼのという花はいろんな咲き方があるんだなと思った。

10月30日(日)

 この日九州山口ばら懇話会展。この日に限って、前夜からの寒波襲来。今年最低の4°Cを記録。昨日はまさかこんなにはならないと思って切ったのもあり、今日はもう福岡に行く気にもならないほど。最低だ。

 あけぼのアルテスビオレビッグチークを前日切りにし、湯浸してみたがさしたる効果なし。讃歌相馬ライオンは朝切りである。どれもこれもダメ。ライオンはうどんこ、相馬は小さい、アルテスも同じ。もう何にもない。ヤケクソだ。結果、相馬が1部1花で4位、あけぼの讃歌が1部2花で5位、佳作でアルスの鋏を副賞に貰った。

 福岡での展覧会で思ったこと。

いくら花がないといってもゼロという形にはなりなさんな。天候の不順、それもあるかも知れない。だけどそれもちゃんと計算に入れて剪定をすること。 これは囲碁で言うところの捨て石である。

宇部ばら展の記録

 11月3日(木)文化の日休日を利用して、柳川の藤吉さんと約束の宇部ばら展を見学に行った。ぼくはただ行くのも何となく歯がゆいということもあって、最後の最後のアルテスと、まだ少し固いライオンと、今年まで辛抱よく待ったつもりの讃歌に最後のチャンスを与えるべく出品することにした。

 宇部ばら会は審査が早く、ぼく達が到着したときにはもう審査が始まりかけていて、ぼくが出品するというので、ちょっと待っていただいての審査となったが、C級1花でアルテスがカップを頂戴する光栄を得た。実を言うとこのアルテス75、少しばかりダブリが見られ、駄目だと捨てようとしていたところを上森さんが「こんなのはこうすると良かろうが」とまじないをしてくれての1位なのである。もともと花は良かったのは、会場でお客さん(お婆ちゃんだったが)がぼくのアルテスに一目惚れし、第1番目にプロらしい? 絵かきさんに絵の注文をしただけでなく、ぼくに向ってインタビューしてくれたのでも判る。お陰でぼくの持参した名刺がモノを言い、おおいに面目を施したという次第である。それにしてもステージングの技術というのは不思議なものである。あのダブリ花が楚々とした品の良い花に生まれ変わるのであるからして。

ことしの総括

 今秋もまた重要なポイントをいくつか教訓としてぼくに与えてくれて、終わろうとしている。

  1.  消毒VSうどんこのたたかいを如何に解決すべきか
  2.  土の性質と施肥の問題を試験即本番の中でどう解決していくのか
  3.  数%の佳花率を10数%の佳花率にするためにどんな 手だてがあるのか
  4.  ぼくの眼が審査員の眼と同じレベルに早くなりたいが、佳花が随分見落としされているのじゃないの
  5.  ドレッシング、ステージングをそろそろ勉強せにゃいかんのじゃないの
  6.  来年は有機質肥料一本でいこう

 ということなどなど、ぼくの移り気は相当なものがあるけれど、もうしばらくお待ち下され。

1988.11.29