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ローズ・ふくおか アーカイブス 1981-1「30年前のコンテスト」

30年前のコンテスト   太田 嘉一郎
昭和56年/1981 創立30周年記念号 掲載

 福岡ばら会が今年齢30年の節目に到達しましたが、創立当時のばら展を顧みてまことに隔世の感が致します。

 当時から既にコンテストが賑やかで出品品種を探って見ますと、まだ外貨に制限があって輸入がままならぬ当時のこととて戦争を生残って来た古花が主流ではありますがピースが始めてばら展にデビューしたのは昭和27年の第一回展で輪入後間もない頃であったと思います。その時代の新品種としてはFLのファッション(1947年米E. S. Boerner作。柔らかなオレンジピンクの色調はその魅惑的な色彩で有名となり, ファッションの色のHTの出現が望まれたほどでした。現在ではこの色域のばらはFLにもHTにも数多くあります)が昭和28年の春第3回ばら展に初出場し、その年の秋第4回ばら展には目の覚める様な朱紅色フランボヤン系の色を持ったばらの始祖とも云われるFLフロラドラ(1943年、独タンタウ作)が顔を出しています。このばらは非常に作り難くて弱いばらであったのでばら展に出品されたのは後にも先にも これ1回だけでした。このばらはばらのボブラとも云われた超特級の強健ばらクイン・エリザベスの片親となったのですから育種と云うものは判らないものです。作出者の米ラマーツ博士も、おそらくこの弱いフロラドラから強健極りないクイン・エリザベスが生れるとは予想されなかったのではないでせうか。

 この昭和28年秋の第4回展が60回を数える福岡のばら展でも歴史的なものと云えるのは故フランシス・メイヤンの黄金時代の作出花が初めて顔を見せていることです。即ちアルサス(1946年 ピースの交配種,サーモンピンク中心黄色)、チガース(1957年 ピースの支配種、表朱がかったスカーレット、裏黄色複色花ではいまだに此のばらの色を凌駕するばらはない様です)でこの後暫くはピース、コンフイダンスの時代が続いた様です。コンフイダンスは現在でもコンテスト御三家の一つとしてガーデン・パーティーやクリスチャン・ディオールと肩を並べて、いやしくもばらのコンテストを狙う人で作っていない人はない程の人気品種であることは誰でも御在知の通りで、ガーデン・バー ティー、クリスチャン・ディオールはずっと後の発表ですから、コンフィダンスの息の長さは日本のばら史上最長のものではないでせうか。それとこの4回展には先に米国のワグナー歌手ヘレン・トローベル女史が来日した時の土産にばらヘレン・トローベル(1951年米スイム作、ピンクと杏黄色の混色、成長類る旺盛)を数百本持参して広島市をはじめ、戦争によって荒廃した我国の主要都市に寄贈し、これがその頃漸く芽生えかけたばらブームに火を着けたわけですが、早くもこのばらが姿を見せました。ヘレン・トローベルは其後広島で黄色のスポーツが発見されてセプテンバー・イエローと名付けられた事は周知の通りです。

 翌昭和29年第5回春のばら腰には新しくグランメール・ジェニー(1950年仏下、メイヤン作 ビースの交配種、ピンクを帯びた黄色に弁端ピンクぼかし、名前の良さと美しい色調、作り易い樹性は其後暫くは人気品種となりました)と千代やマリヤ・カラスの交配親となったカール・ヘルブスト (1950年独コルデス作、くすんだ赤で剣弁高心の美しい花型、強い抗病性はそのまま名花コルデス・パーフェクタに縛っている。カール・ ヘルプストとはコルデスと親交のあった花屋さんの名前だそうです)とスペクス・イエローが初登場しました。 斯うしてみると、メイヤンのピース並に其の交配種であるアルサス、コンフィダンス、グランメール・ジェニーの他第5回展のミッセル・メイヤン(1945年、 ピースの交配種で柔かなサーモンピンク、可憐の一語につきるばら。ビースと再び戻し交配されて名花コンフィダンスが誕生したが、コンフイダンスよりミッセル・メイヤンの方が好きだと云う人も多い)、昭和30年秋第8回展コッベリヤ(1952年、ピースの交配種、中輪作ら整った花型とオレンジぼかしの黄色に鮮かな紫桃色の覆輪は愛培者も多かった)、並にドクデュール・F・デバ (1948年、ビースの交配種、サンゴ色のかかつた光沢のあるピンク、20cmに及ぶ巨大輪は見るものを驚嘆させた)、ベッティナ(1953年、ピースの交配種、栗色がかったスカーレット オレンヂ。今春福山市の藤井藤二郎氏の庭で十数年振りにこの花に再会しました。矢張りこの色は今のばらには他に無いことを確認しました)。

 昭和31年秋第10回展のスゾン・ロッテ(1947年, ピースの交配種、白に淡桃のぼかしが入り弁端は覆輪となる)や、其後に出現するサンフォニー (1949年、ビースの交配種、ピンク弁底 黄色、美くしいピンクの網目が入る)、エデン・ローズ(1950年、ピースの支配種、鮮かな、ピンク裏弁稍淡色、強香種、樹性、花型等ピースの血流が最も濃い)、モンテ・カルロ(1949年、ピースの交配種、濃黄金色に細い紅覆輪が入る。美しいばらであるがダブルセンターになり易い)等いかにメイヤンの黄金時代の作品が多彩で群を抜いていたか、またメイヤンがいかに自己の最高傑作であるピースを利用し、其の長所を余す所なく抽出したかを見る事が出来ます。然しばらの世界も日進月歩、これ等の名花も既に時代遅れになったのかコンフィダンスを除いては、よほどの好き者でなくては保有している人も珍らしくなりました。ナツメロでなくナツバラでせうがもう一度見直しても良いのではないかと思います。

 さて運筆がメイヤンの事に飛びましたが前述の第5回展のスペックス・イエロー(1947年、オランダ、H・A・ フェルシュレン作、濃黄色、別名ゴールデン・セブター)はそれまでの黄ばらの概念を変えさせる程のものでした。その頃は黄ばらの品種も少く、黄と云えばフー・ベルネ・デュッセ(1934年、仏マルラン作、重ねの多い黄ばらであるが春は白ボケして黄ばらとは云えない状態となる。 秋は美しい黄色となる。当時では黄の代表選手でした), ゴールデン・ラブチュア (1934年独コルデス作、中輪作ら明るい黄金色でその澄んだ色は美しいが白ボケしやすい。温室切花用として現在でも使われているが、白ボケさせずに美しい黄色を出すには最高の栽培技術を要するとされている)等と云ったもので春は殆ど白ボケするので黄ばらと云えば秋にしか出品が無かったのですが、このスペックス・イエローが白ボケせず春でも黄金色に咲き、しかも褪色せず散っても黄色を失わないと云う事はその頃としては驚くべき事でした。このスペックス・イエローは其後の黄ばらの改良に大いに貢献して、現在の様に春秋共に黄色を失わないものになりましたが実に記念すべきばらだと云えます。福岡のばら展では其後発表されたゴールデネ・ゾンネ(1960年、独コルデス作、スベックス・イエローの支配種)に其の王座を譲るまでは黄ばらの代表選手として活躍しました。

 次の第6回昭和29年の秋のばら展にはサンフランシスコの講和会議に平和のばらピースと共に自由のばらとして会場を飾ったと云われたローズ・オブ・フリーダム(1948年米スイム作、重ねの厚い大輪、濃赤色からくすんだ紅桃色に変る)が出場しましたが、特筆すべきはメイヤンの白の名花ビルゴが顔を見せ会長賞を獲得した事です。混り気のない純白色で丸弁長つぼみ、花付きも多く、大阪のばら展でもしばしば高位入賞したばらで、白ばらはメイヤンの作出花には数少いのですが、メイヤンの沢山の作出花の中では群を抜いた良花と思われます。ビルゴはフランスの作出家の大先輩である故シャルル・マルランの発表した香りの白ばらネイジュ・バルファン(1942年)の交配ですが香りは無く代りに雨に強いと云う特性がありました。メイアンはこのバラにビースの花粉を支配して整った花型の白ばらメッサージを1955年に発表し、御存知の衣通姫はメッサージとホワイト・プリンスから生れたのですから衣通姫にはピース、ビルゴと云った2大名花の血すじと云うことになりばらの世界でも血すじの良さと云う事が育種の上でも大切な要素となっていますが、このビルゴは米国に渡って米国の名作出家スイムの手でメッサージと同じくピースの花粉を受けて1962年に人気品櫃ロイヤル・ハイネスが生れました。メッサージとロイヤル・ハイネスは国こそ違うもの全く同じ交配から生れたと云う事で、千代とマリア・カラスが同じ様にクライスラー・イ ンペリアルとカール・ヘルプストの交配から生まれたのと軌を一にしています。

 以下は福岡ばら会創立後数年, 即ち我国のばらブームの創成当時の入賞記録ですが、その中で昔懐かしい古い品種のいくつかを解説します。古いばら作りの人達に郷愁と云ったものを感じて頂ければ幸です。

ばら展 天賞 地賞 人賞
第1回展
S27年5月
●クリムソングローリー
●ピース
●フー・ベルネ・デュッセ
註:第1回展はコンテストなし
第2回展
S27年10月
●フー・ベルネ・デュッセ
●コンテス・バンダル
●ピース
●ウイリヤム・オーア
●フー・ベルネ・デュッセ
●マダム・バタフライ
●スープニール・ド・アレキサンドル・ペルネ
●クリムソン・グローリー(2)
●コロンビア
●フー・ベルネ・デュッセ
第3回展
S28年5月
●ピース
●コンテス・パンダル
●クリムソン・グローリー(2)
●ナショナル・フラワーギルド
●タリホー
●ルイス・ブリニアス
●FL・ファッション
●クリムソン・グローリー
●エリザベス・ヨーク
●フォーティ・ナイナー
●デュケサ・デ・ペナランダ
●ダイアナ
●エディター・マクファーランド
●ナショナル・フラワーギルド
第4回展
S28年10月
●アルサス
●グロリヤ・デ・ローマ
●ダイアナ
●夕映
●チガース
●ピース
●コンフィダンス
●アンヘルス・マテウ
●テキサス・センティニアル
●FL・フロラドラ
●ワラウィー
●ヘレン・トローベル
●コンデッサ・サスタゴ
●ピース(2)
第5回展
S29年5月
●スペックス・イエロー
●ピース(2)
●ミッセル・メイヤン
●クリムソン・グローリー
●ピース(2)
●グランメール・ジェニー
●マーベル・ターナー
●エディスクローゼ
● ピース(2)
●アルサース
●カール・ヘルプスト
●カレドニア
●エディター・マックファーランド
●プレジデント・H・フーバー
第6回展
S29年10月
●ビルゴ
●ミッセル・メイヤン
●ピース(2)
●フー・ベルネ・デュッセ
●ミッセル・メイヤン
●クリムソン・グローリー
●ピース(2)
●グランメール・ジェニー
●マーベル・ターナー
●ヘレン・トローベル(3)
●ピース(3)
●サンフェルナンド
●チガーヌ
●ゴーダン・エディ
第7回展
S30年5月
●コンフィダンス(2)
●ビルゴ(2)
●ヘレン・トローベル
●ケーニンゲン・ルイゼ
●ピース
● ピース(3)
●コンフィダンス(3)
●マダム・コシェコシェ
●フラウ・カール・ドルスキー
●クリムソン・グローリー
●シャルル・マルラン
●カレドニア
●ピース
●コンフィダンス
第8回展
S30年10月
●ピース(4)
●ヘレン・トローベル
●コッペリヤ(2)
●コンフィダンス
●ドクテュール・F・デバ
●チガーヌ
●レディ・ベルバー
●エディスクローゼ
●フラウ・カール・ドルスキー
●ミツエル・メイヤン
● ピース(3)
●ベッティナ
●コンフィダンス
●バタフライ
●アルサス
第9回展
S31年5月
●グランメール・ジェニー(2)
●ビルゴ
●エターナル・ユース
●グランメール・ジェニー
●ブランシュ・マルラン
●マックレディス・イエロー(2)
●ラダール
●オペラ
●カレドニア
●マックレディス・イエロー
●ゲイ・クルセーダー
●ソナタ
●アンドレ・ル・トロッケ
第10回展
S31年10月
●ドクデュール・F・デバ
●バタフライ
●モンテズマ
●アルテス
●コンフィダンス(2)
●シャルル・マルラン
●アルサス
●コッペリヤ
●ドロシー・アンダーソン
●スソン・ロッテ
●アルサス
●コンフィダンス
●エディターマックファーランド
●ビルゴ

出品花の解説

クリムソン・グローリー

1935年(独)コルデス作。赤ばらの歴史の中でこのばらを忘れる事は出来ません。 現代赤ばらの大部分はこのばらの血を引いていると見てよく、ビースと並んでばらの改良の上で最も大きな影響を残しています。強香と剣弁高芯のビロード深紅色は比類がないが青化すると云う大欠点がありました。数多い名花を生んで居り日本作出の聖火もその一つです。

ナショナル・フラワーギルド

1927年(仏)シャルル・マルラン作。さめないビロード赤、碗咲きで強健種。花首が弱いのが欠点でした。昭和20年代のばら作りの人は一度はこのばらを手掛けた事と思います。

コンデサ・デ・サスタゴ

1933年(スペイン)ドット作。重ねの多い丸弁碗咲。表弁スカーレット裏弁黄色。複色花の先駆と云われている。スポーツに純黄色にスカーレットの編か入るラヂオがあります。

ケーニンギン・ルイゼ

1927年(独)ウェイガン作。大輪高心型の白ばら。昭和20年代では最もポピュラーな白でしたが重ねが多すぎて春には開ききらぬ事がありました。

エディス・クローゼ

1930年(独)クローゼ作。青白色の剣弁高心型。頗る強健。 柊の様な厚手の固い葉は独特のものでした。日本作出の ピクニカの親です。

シャルル・マルラン

1947年(仏)メイヤン作。昭和20年代では新花の部類でし た。濃い黒紅色ビロードの強香種。最近の黒ばらでも色ではこのばらに勝るものはなく花型も良好、片寄りして伸びる樹性で樹型が整い難く花も均整のとれた花は少いが、良く咲いた時は神品とさえ感じられます。先代メイヤンが育種上の師シャルル・ラルランに捧げたばらで、 有名なパパー・メイヤンはこのばらとクライスラー・インペリアルから生れました。

マダム・バタフライ

1918年米国E.G. ヒル作。ばらの歴史上忘れること の出来ないオフェリアの枝変りです。薄いピンク弁底黄色、香りがよく温室ばらとしても一世を風靡しました。 今でも立派に通用するばらです。

エディター・マックファーランド

1931年(仏)マルラン作。 剣弁高芯型で花型良く稍くすんだ桃色で弁底黄,作り易いばらで、世界で最も権威あるばらのリストであるModern Rosesの版元のマックファーランド氏に捧げられたばらと云われています。

カレドニア

1928年(英)ドビー作。剣弁高芯の美しい花型で日本に 於る白ばらの代表と云ったものでした。弁質が薄く皺が 入り易くまた病害に弱く春はボールし易いと云う欠点が ありましたが良く咲いた時の花は実に見事で、苦労しな がらも作る人は多かった様です。

プレジデント・H・フーバー

1930年(米)コディントン作。その頃の遊紅色ばらの代 表と云ったものでした。長つぼみで香りがあり,樹性も 強いばらでした。枝変りにテキサス・センティニアルが あります。

ワラウイー

1934年(オーストラリア)珍らしいオーストラリアのばらでその代表的なものです。大輪高芯ピンク裏弁は濃い。丁字の香り。

ゴーダン・エディ

1949年(カナダ)H・M・エディ作。巨大輪,剣弁高芯、薄い杏黄色で中心濃く秋の色は格別でした。カナダのば らとしては同じェディ作のバーナビーが後に輸入され、 この方は今でも愛培している人が多く、何れもエディと云うよりもカナダの代表的なばらと云って良いでせう。

アンドレ・ル・トロケ

1946年(仏)マルラン作。大輪高芯型で濁りのない澄んだオレンヂ色は今でも印象に残っています。ウドン粉病に弱かった様で今春の福山ばら展で久振りにこの花を拝見しました。

アンヘルス・マテュー

1934年(スペイン)ドット作。サーモンがかった黄色でその頃としては新奇な色でした。ドットの代表的なばらの一つです。

デュケサ・デ・ヘナランダ

1931年(スペイン)ドット作。 稍くすんだオレンヂ色ですが派手な花でした。今ではスペインの花は作る人が少ない様ですが戦前戦後を通じ スペインの花は主としてドットの作品が数多く輸入され、美しいつるのスパニッシェ・ビューティーは今でも良く見かけます。私もドットのばらではバレアレス(1957年)をいまだに保有していますが、いかにも南国スペインの花らしい味わいは棄て難いものがあります。