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ローズ・ふくおか アーカイブス 1984-2「実生雑考」

実生雑考   太田 嘉一郎
農水省登録番号338号 ローズ・フクオカに就て
昭和59年/1984 掲載

 昨年(58年)2月24日凡そ2年前の昭和55月12月に申請をしていた“ローズ・フクオカ” の品種登禄が第388号として認可された。世界で類を見ないと言うよりも、おそらく世界で初めてと思われる樹高40~50cmのベランダ園芸、鉢植え園芸に向く極く矮性のレッキとしたHT種である。矮性と言うことではmin種やFL種にも見られ珍らしいことではないが花が10~13cm程の大輪のHT型であると言う点が大きく違っている。審査期間が2年有余と言うことはづい分長い様に思われるがばらは通常良い花は春秋2回しか咲かないのが通例であるから2年と言う歳月はその資質確認のためには最短の期間であって我々のJRCだって出品してから結果が出るまで2年を要しているからジット辛抱して待つしかない。

 此のばらは濃桃色の弁端に行くに従い濃く、剣弁の弁数25~29枚、花首短く葉数5枚から7枚前後、節間長3〜5cmでステムは短少で樹高に比して太枝性の分枝が稍や、多い樹型の整ったばらで劣性遺伝で矮性になったものと思われる。昭和45年度のJRCに拙作の“ピクニカ” (Picnica、アメリカの登録では宴となっている)が1位銀賞を受賞しているが “ローズ、フクオカ" は此のばらのF2に当たるのである。“ピクニカ”は"エディス・クローゼ"、"ブライダル・ローブ"の交配で強香種の白ばら“ブライダル・ローブ”が美しい剣弁高心でありながら暖地の九州では育て難くかっては日本ばら会の会誌の表紙を飾ったこともある銘花なので私は幾度もトライしたが悉く失敗していて此の失敗が強健な“エディス・クローゼ”と交配する事によって生かされないものかと試みた。結果は幸運にも“ピクニカ”となって現われたがこのばらは肝心の香りを忘れたために極く平凡な白ばらとなった。昭和47年頃東北地方のばらを拝見した時久保進氏の案内で見た中村七郎氏邸の“ブライダル・ローブ”は北国の冷涼な空気の中で私などの想像を絶する逞ましさに育っていてこのばらの適地撰択性の狭さに驚いたことがある。私は“ピクニカ”の花型と結実性の良さに着目して之に“コルデス・バーフェクタ”を交配し私が“ピンク・ピクニカ”と名付けたピンクのばらを得た。このばらは美しいピンクで丈夫でかなりのばらであるが其の結実性の良さと発芽率が抜群で私の育種の Base になっている。

 昭和45年“ピクニカ”の沢山の交配の中から“ミス・アイルランド”を交配して得た実生27個体の中から2ヶの優秀と思はれる個体を選抜した。一つは柔いサーモンピンクで後に“卑弥呼”と命名したばらで剣弁高心、大輪で樹高1.5mに及ぶ完全なHT種であるが他の一つが後に“ローズ・フクオカ“と名付けたばらである。花は剣弁で弁端に行くに従い濃くなり芯は低いが弁質も良く優秀なばらであるが樹が伸びない。此の時点ではまだ矮性と言う特性を認識するに至らず、ステムを伸ばすためにはどうしたら良いかと苦心をした。其の一つとして或程度芽が伸びた時点でジベレリンを葉面撤布してみた。ジベレリンは稲の馬鹿苗病の因子とも言われるもので或はステムを徒長させるかも知れぬと考へたのであるが結果は惨胆たるものであった。“ローズ・フクオカ”の他にステムの伸びない品種、例へば“スーザン” 等数多くのものにも試みたのであるがステムは伸びず従って葉の数に変化はなく全般に花も葉も赤みが残り、しかも花首丈は異状に長くロクロ首の様になり花弁は蓮の花の様に内側に湾曲して到底観賞に堪へるものにはならなかった。ばらは芽出しの頃は全般に赤の色素アントシアニンが出て新芽は赤い色が多く生長するに従って葉緑素(クロロフイル)が多くなり赤味が薄れて本来の緑になるのであるがジベレリンは芽出しの頃のアントシアニンが何時までも消えずに花や葉に残るのであろう。私はジベレリンは100ppmで使用したのであるが濃度散布時機が当を得ていない結果かも知れない。しかし之に懲りて二度とジベレリンを使う気がしなかったが第二の方法として台木を換えて芽接による育苗をする事にした。たまたま入手した"マネッティー"から7月に台木を採って挿木し10月にそれに“ローズ・フクオカ”を芽接して約20本の芽接苗を得た。昭和52年1月に私は330㎡のガラス温室にばらの鉢植の促成をする目的で2年苗約2000鉢を入室したが“ローズ・フクオカ”の芽接苗も同時に入室した。促成用の鉢ばらは6〜7号鉢に“ロクレア”(独タンタウ 1976年)、 “ビンゴ”(仏メイアン 1975年)、“アルファ” (仏メイアン 1975年)、“ベッティナ78"(仏メイアン 1975年)、“サマンサ” (米J&P 1975年)、“ベロナ” (独コルデス1975年)、“マリーナ”(独コルデス1975 年)、“メルセデス” (独コルデス1975年)、“カリネラ” (仏メイアン1974年)、“ベリンダ”(独タンタウ1972 年)、“イエロー・ベリンダ”(独タンタウ1972年)、 “トウナイト” (米J&P 1975年)、 “ピザ”(仏メイア ン1975年)、“キヤメオ” (米J&P 1975年)、“メニユエット”(米ラマーツ1970年)等の切花用品種と“コンフィダンス” “みやび”であったが何れも旺盛に育ち市場評価も上々であった。元来がステムの伸びる切花用品種が主体であるので樹高を抑へるために矮化剤のCy-Co-Cell(C・C・C)とアンシミドールの二種を使用したが効果はなく高く伸びた鉢は持運びに不便であった。一方は樹高を抑へるために苦心をし一方の“ローズ・フクオカ”はステムを伸ばす工夫をしてわざわざ台木まで変へて芽接までしにも拘はらず皮肉にもどちらも効果は零であった。たまたま久留米市の著名な園芸家である鹿毛哲郎氏が訪れ“ローズ・フクオカ”の矮性を特性として捉へたら立派に生きるのではないかとのサゼッションを受けて矮性大輪種と言う従来のばらにない特性を欠点としてではなく長所として見るべきだと目の醒める思いがした。

 翌53年約70株を切接して露地に植込んで其の特性にいよいよ自信を持ち昭和54年度の福岡花き園芸組合連合会の新品種登録審査委員会に登録申請をすることにした。新苗の植込みに際して露地の圃場は予めクロールピクリンで消毒をしていたにも拘はらず70株の中約半数が癌腫病菌に汚染されていたのである。クロールピクリンで殆ど無菌の状態の所に保菌株を入れれば療原の火の如くすさまじい勢で癌腫が発育蔓延するのを初めて体験した。土の中には有用有害のさまざまな土壌菌がいて相互に干渉し拮抗して一定のバランスを保っているので癌腫病の成育にも種々の制約を受けているのに消毒された土壌の中では些かの制約も受けることがなく存分の発育を遂げるためであろう。かって農水省の久留米野菜試験場の場長をされていた田村輝夫農学博士が土壌消毒をしたならそこで使う農機具類も専用にして病菌や土壌害虫を持込まない様にしなければ意味が無いと言われた言葉がよく判った。実に貴重な経験をしたものである。罹病株の状態は1つや2つの癌ではなく中には葡萄の房の様に鈴なりのものもあって慎重に点検した上で発病の形跡のない30株をヒトマイシンの300培液に30分間浸漬をして鉢に上げ無加温のビニールハウスの中に収容した。昭和54年1月のことであった。

 審査は5月10日で農水省久留米野菜試験場、福岡県園芸試験場、福岡県花き連其他から斯界の権威者約8名の方々の審査と言う重々しいものであった。新品種登録委員会の審査は前の年に自作のFL種“ミモレ”を受審していたので要領は判っていたが100点満点中94点、最高のブルーリボン賞を受賞した。其後、福岡県園芸試験場の主任研究員である松川時晴農学博士より農水省の品種登録の受審を奨められ、まだ世上に発表したわけではなかったのでひとつやって見るかと軽い気持で申請書の交付を受けてみて其の特性表の調査項目の多いのに驚いた。即ち重要な形質としての1 樹姿 (樹形、株立ち、株のひろがり、樹姿の粗密度)、2 樹高、3 新梢の太さ、4 新梢の色(開花前、開花後)、5 とげの形(とげの形、とげの曲性)、6 とげの大きさ (とげの長さ、とげの基部の巾)、7 とげの色、8 とげの密度(幹の部分、花枝の基部、花枝の中央部、花首部)、9 節間長、10 葉形 (小葉の枚数、小葉のつき方、葉脈の深さ、葉縁の切れこみ)、11 葉の大きさ(本葉の長さ、本葉の巾、葉柄の長さ、先端小葉の巾)、12 葉色(若葉の 色、成熟葉色)、13 葉の光沢 (若葉の光沢、成熟葉の光沢)、14 葉の厚さ(葉肉の厚さ、葉肉のやわらかさ)、 15 葉の着生角度、16 たく葉の形(たく葉の形、たく葉の長さ)、17 花房の形、18 蕾の形、19 蕾の大きさ(蕾の長 さ、蕾の横径)、20 蕾の色(萼割れの時の色、萼の離れた時、RHSカラーチャートで表示)、21 花形(一重八重別花形)、22 花の大きさ、23 花の高さ (花心)、24 花色(花弁の表面の色、花弁の裏面の色、花弁の光沢、花色の移行性、色)、25 花弁の形(花弁の形(1)、花弁の形(2))、 26 花弁の厚さ(花弁の厚さ、花弁の硬さ)、27 花弁数、 28 雌雄ずいの形(雌雄ずいの配列、柱頭の数、柱頭の大きさ雄ずいの数、花糸の太さ、やくの大きさ)、29 雌雄ずいの色(柱頭の色、柱頭の数、花糸の色、やくの色)、 30 一茎の花数、31 花茎の長さ(花首)、32 花茎の太さ(花首)、33 花の香り(香りの強さ)、34 開花期(開花時期、 開花期間、開花習性)、35 耐寒性、36 耐暑性、37 落葉性 (生育期間中の落葉性)、38 病害抵抗性、39 虫害抵抗性、 40 参考形質(本葉の数、新梢の発生、ベーサルシュートの発生、がくの大きさ、がくの形、花首の強さ、開花性、 ブルーイング、花弁の散り方、花もち)の各項目に就いて其特性を記入し、あわせて対照品種と各項目毎に比較して最少限20ヶの花数の平均値より其のデータを出さなければならなかった。対照品種はたやすく比較出来るもので現に国内で入手可能なものに限るので稀少品種や自家交配のF1やF2等では対照となり得ないのである。 私は此の品種が従来にないものだけに対照品種の選定に迷ったが結局花については祖父木の“コルデス・パーフェクタ”に樹形其他枝葉に就ては父木の“ミス・アイルランド”としたが何れにせよ大へんな仕事であった。此の仕事は思い付きや一寸した軽い気持ではなく当初より計画的にとり組むべきであると痛感した。

 昭和55年12月特性表の記入も終って農水省に品種登録の申請をしたが翌56年4月中旬審査のため成木5本を大阪市の農水称省農蚕園芸局種苗課分室まで送る様要請を受けた。九州では其頃は蕾も大きくなり特に早咲の“ローズ・フクオカ”は2週間もすれば開花期を迎えると言う時期だけに尋常の輸送方法では難かしく悪くすれば枯死につながる心配があった。結局、現役時代に勤めてい た会社の工場が鳥栖市にあって毎日2回専用トラックが三重県伊賀の分工場に出ている事、伊賀の工場より大阪市の種苗課分室まで車で一時間の距離にあることが判ったので専用コンテナに7号鉢で7個の鉢植を詰めて送り出す事が出来た。大阪市の種苗課分室から鉢植の“ローズ・フクオカ”の7鉢が些かの損傷もなく到着したとの連絡があり工場関係者の協力には感謝の言葉もなかった。 其後約2年、“ローズ・フクオカ”が登録番号388号として農水省種苗登録に認可されたのである。登録申請の際、福岡で生まれた劃期的なばらと言う意味で“ローズ・フクオカ”と命名したが、其の増殖販売に就いては特性発見の経緯もあり前にふれた鹿毛哲郎氏に一任し鹿毛氏は其取引先である横浜市の坂田種苗株式会社を通じて其の普及に努めることになったのである。“ローズ・フクオカ”は言はば偶然の所産とも言うべきであるが非常に結実性が良く種々交配を重ねて矮性大輪と言うものに系統づける事が出来ればと言う事が当面の私の育種の夢である。

 農水省で認定された“ローズ・フクオカ”の特性記録は次の通りである。