有機農法への夢 瓜生典清
昭和59年/1984 掲載
J, I , Rodale 著 Pay Dirt (有機農法、一楽照雄訳) を読んだときの印象は強列なものであった。今迄、農業 そのものには殆んど無関心で、健康とのかかわりあいか ら野菜をはじめ農作物に対する農薬禍の問題に関心がな かった訳ではないが、化学肥料を主流とする現在の農法 のあり方に対して考え込んでしまったものである。さら に、梁瀬義亮著「有機農法革命」を読むうち、植物栽培 に対して衝撃的にその認識を一変させれられた。よく cultur shock というが、異質の文化とか、過去の経験 と隔絶した文化に遭遇したときに経験する衝撃である。 50代も半ばに達した我が人生に於いてもcultur shock とも言える衝撃はそう数多く経験した訳ではない。20年 前、滞米生活を始めた時や、国際会議に出席のため訪欧 した折、ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿を訪れた時 に経験したものはまさにそれだったと思うが、しばし茫然自失の態で異常な興奮を覚えたものである。
学問を志して未知の世界の研究を専門職とすれば、次々と新しいことに遭遇しショックを受けるのは当然のことだとしても、専門以外の分野には比較的鈍感になり、いわゆる専門馬鹿と言われるようになるのは致し方もないが、それにしても革命的に意識の変革を迫る衝撃的な出会いとはそうあるものではない。冒頭に掲げた書物は人生もたそがれ始めた自分にはしなくも貴重な教訓を与えてくれた有難い出会いである。
Pay Dirt の詳しい内容紹介はここでは割愛する。強列な印象を拙文で伝えるよりは園芸の興味をもたれる方々の一人でも多くが直接 Rodale 氏の著書からその熱意を感じ取られることを希望する。生きている土壌、その中に多くの腐植を含み、みみずをはじめ多数の土中生物を含有する土がいかに植物の生育にとって大切なものであるか、化学肥料によってその生きた土が死んだ土へと変って行く状況、また、そのように荒れて行った土から作られる農作物が人間の健康にどれ程有害な悪影響を与えているかについて痛い程の警告を与えて呉れる。
思えば、ばら作りという園芸に10余年かかわってきていながら何と無知な事をやって来たものかと今更作我が身を恥入っている次第である。考えてみればみみずは我々にとってこよなき畑作りの協力者であって、土の耕作者、肥料の製造者であるのだ。にも拘らず嘗って台所のゴミを埋めた場処に大量に発生したみみずを生石灰をぶっかけて殺して了ったことがある。みみずは害を与えるものと信じていた。いや信じ込まされたと言ってもよい。 もっとも、もぐらの餌だから害虫であると主張する人も居ようが、利点の方が遙かに多いに相異ない。また、全く無知な話だが、消毒後、容器を洗滌した後の液をばら畑に捨てていたものだった。たとえ稀釈液でも露菌病の退治に少し位は役立つだろうと考えていたし、灌水代りにもなると思っていた。しかしながら、殺虫剤の入った洗滌液はみみずをはじめ土中微生物を殺し、化学肥料と 同様な弊害をもたらすことになるのではないかと思うと、全く馬鹿げたことを続けていたのである。
Rodale の著書に述べてある例としてこがね虫に食い荒されたぶどうの木の話がある。同じ木の近くに腐植を十分に与えて育成された若木のぶどうの木には虫もつかずに元気に育ったという話である。そもそも植物が十分 健康な状態にあるならば病虫害に冒されることなく、また、たとえ冒されたといても極めて些少な被害のみで育成するのだというのがその主張するところである。確かに動植物は生きている限り腐植化することはない。切り倒されたりしてその死とともに種々の生物の餌となり、 腐植化が始まり土と化して行くものである。この教訓か 、ばらには農薬による殺虫、殺菌が絶対に不可欠なのであろうかという疑問が出てくる。 Pey Dirt には主として農作物や果樹の育成について触れてあるが、土を有機堆肥によってよみがえらせることにより自らの抵抗力がついて植物は虫害から身を守り種々の菌に対する耐病性がつくようになるとある。さすればばらに対しても同じ論法が当てはまるではないか。善は急げである。早速、坂田種苗から堆肥製造機“ガーデンボックス”2個を注 文して取り寄せ、我が家の庭の落葉や雑草、台所ゴミ、はては秋ばら剪定の切り枝に至るまで、腐植にできるものはたとえ病葉であれ一切合切を堆肥にして土に戻すことを決心し心掛けた。かくして出来た堆肥第一号はこの冬大苗の植え込みの元肥と一緒に入れる予定である。
僅かばかりの家庭菜園にも今迄農薬は一切用いていない。我が家のガーデンボックスから立派な堆肥が出来るまでは市販の牛糞堆肥を十分に入れ、肥料も有機肥料(油粕、オールミックス等)のみを使用して来た。お陰でナス、トマト西瓜は大豊作だった。さつまいもは夜盗虫によって葉を大分食い荒らされたが、今は大根、かぶには 病気も虫も余り見られない。あと2、3年、有機農法の成果が現われ始めるのを見たいものである。ばらに対してはしかしながら恐らく農薬散布皆無論は無理だとは思 う。ただ1回でも2回でも散布の回数を減らし、農薬による土壌の汚染を少なくする努力はやってみたいと思う。
それにつけても想い起すのは有吉佐和子氏がその著書「複合汚染」の中で述べられている共生植物の話である。 我が国にばら栽培が移入されたのは何時頃のことであろうか。もともと日本はばらの主要原産地の一つであり、 青木正久氏の著書「世界のばら」によるまでもなく万葉歌としてすでにばらは詠まれており、野生ばらが当時すでに庭先に育てられていたであろう。ここで言うばら裁培は、ラ・フランスを第一号とする現代ばらになってからの話である。イギリスから移入された裁培技術の中で見落されていたものにニンニクを共生植物としてばら裁培を行なうことであったと述べられてる。確かにイギリ スはばら裁培が盛んであり、数年前ロンドン郊外を旅し た時、数多くの家々の庭先にばらが裁培されているのを見掛けたが、残念乍らそのばら園にニンニクが同時に植込まれていたたがどうかは確認していない。しかし乍ら、 有吉女史の記述がもし本当ならば、ニンニクを共生植物 として裁培することによりあぶら虫は駆除できるはずで ある。マリーゴールドが線虫に対して有効な防除の役果すことはよく知られていることであるが、有機農法の夢を一歩進めて、無農薬ばら裁培の夢を共生植物の発見に努力することにより果せないものかと思うのである。 化学肥料の最大のメリットは省力化ということであろう。 有機農法の泣き所はまさにその点にあると思われるが Rodale 氏は農薬散布の費用と学力を償って余りあると主張する。ばら裁培に対して果してこの夢が実現するものかどうか。2、3年後の我がばら園には相変らず動噴 のモーターが勢よくうなりを上げているかも知れないし、 有機肥料で丸々と肥りすぎた花は、ミスコンテストの壇上にはとても似つかわしからぬ田子嬢姐さんかも知れぬ。 研究会で数多くの啓発を受け、肥料や農薬の使用法について有益な示唆を受けている者としてその教訓を無にする気持はさらさらない。ただ、有機農法への夢が今までの教訓を土台にして一歩でも二歩でも実現へ近付けたらと貰うのである。
(昭和58年11月30日記)