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ローズ・ふくおか アーカイブス 1989-4「日本ばら会々長杯をいただいて」

日本ばら会々長杯をいただいて   小林正子
平成元年/1989 No.5 掲載

 昭和63年10月22日早朝、福岡空港でばらが入ったポリゴミ容器を抱えてタクシーを降りました。不安な気持ちでロビーを見渡すと、まず大きな山本先生と唐杉さんの姿が目に入り一安心。落ち着いて見ると皆さん揃っておられます。釜瀬さん、末松先生、東ご夫妻、それに私で総勢7名です。その内、難題が持ち上がっている事に気付きました。機内への水の持ち込みは禁止でばらの水は捨てなければならないとのこと。押しのきく山本先生に一任です。「いや水はほんの少し、こぼれるほど入っていません。」で無事通過。それからばらを置く余裕のある最前列でなければと強引に交渉され、これもかなり後部ではありましたが、中央5人の最前列の席を確保してくださいました。末松、山本、唐杉、東さん及び私のバラは温度もちょうどよく機内は快適だったと思います。 持参した11のポリ容器の水も全部バラに与えました。 この条件がなければ入賞はとても無理だったことでしょう。山本先生にはお礼の申し上げようもありません。

 ばらは前日にあけぼの、コンフィダンス、マダムビオレ等3、4分咲きのもの20本、翌朝4分咲き程度のを10本切りました。パパメイヤンは3分咲き、東京での出品はもちろん初めてで、準備の段階から大変でした。福岡バラ会の場合はあまり持ち歩くこともなく楽をしているので一度につけが来たようでした。羽田空港到着、最後に飛行機を降りてバスでターミナルへ、浜松町を経て東京駅に着きました。それから八重洲地下ロビーの会場までの遠かったこと。荷物はたすき掛けで背中の方へ、ばらは容器を買物袋の中に入れ、持ち手にひもを付けて首から前に提げ、両手で抱える万全の策でしたが、1L追加の水の重みがずっしりこたえました。あまり会員の皆様には見せたくない格好でした。でも東京に詳しい末松先生のご案内でついて行くだけで本当に助かりました。

 会場に到着。受付を済ませ、余裕のあるような顔をして会場を回りますと、宇部の方々は前日から上京しているとかでもう出品準備もかなり進んでいました。河野先生、原田一雄さん等そうそうたる方々のよい花が一杯。 あわててフラスコ、水などの準備をしながら、大丈夫かな板付で私の花をのぞかれ「まあ開き過ぎ」というお顔をされた釜瀬さんが一瞬目に浮かぶ。和紙を1枚ずつ取り除いていく。大丈夫まあまあだ。どうしよう。宇部の三浦さんが見に来られ「あー, このあけぼのがええよ」 あらあらどうしよう。東京在住の大神先生のお嬢さん (奈々子さん)が来られ、この会場は5花の出品会場で、 出品会場はもう一つ向うにもあり、そこで1花、2花、3花を出品するとのこと。釜瀬さんも向うの会場で飾り花を活けておられるから移った方がよいのではないかと誘ってくださった。そこで引越を開始。しかしそれが200米ほど離れているのです。奈々子さんや末松先生にも手伝っていただいたのですが、3、4回往復する間にあけぼのを見失ったりして大変でした。

 釜瀬さんの近くで準備をしていると、釜瀬さんの知り合いでもある東京の松本昌幸さんが来られて、私がもたもたしているのを見かねてアドバイスを頼んでくださいました。1花はあけぼのがよいとのこと、3花の組合せになると出品の上手な人を連れてくるからと、どこかに行かれました。しばらくして来られたのが徳増一久さんで、松本先生と話が弾んでいました。3花の花の選択が一番困っていたのですが、思いがけぬ組合せ。まだ待っている人がいるからと徳増さんは向うへサッと行かれた。結局1花はあけぼの、2花は瑞穂とマダムビオレ、3花はあけぼの、コンフィダンス、レディラックにしました。花が残っているので5花も出品したらと松本先生に云われ、200米も離れた会場に出かけました。受付でもうオアシスも無くなり悪いけどこの剣山で活けてくださいと言われたのと、出品花を運ぶことを考えすぐあきらめました。1人1種目2点まで出品出来る規定なので「花型は申し分ないが色がもう少し黒くないとね」と言われていたパパメイヤンを1花として追加しました(私は最高の出来と思っていました)。展開が少ないが色がとてもよく出ていたマダムビオレが2本揃っていたので、これも2花として追加して出品しました。

 審査は10名ほどの審査員が初め15ぐらい選び出し、予選で10まで減らして、その後投票で入選を決められていたようです。私は30本持っていき全部で9本出品したことになりましたが、運よく全部予選は通過しました。

 結果は会長杯(1花)で1等賞(あけぼの)。理事長杯(2花)で3等1席(瑞穂、マダムビオレ)。総理大臣杯(3花)で3等3席でした。今後もう二度ないような思いがけない好成績でした。お力添えいただいた松本先生、徳増先生、釜瀬先生のおかげであり、同行の皆様また、福岡バラ会での皆様のおかげと心から感謝いたしております。それから3花の1等も福岡バラ会の上森俊二さん、山本先生も1花で3等、唐杉純夫さんも2花で予選までと福岡勢はがんばりました。

 会場で嬉しい表彰を受けホテルに帰り一休み。服を着替えて懇親会に出席致しました。会場では40周年記念で日本ばら会長になられた中曽根前総理も来られました。 福岡バラ会の田中丸会長に、会長杯を貰ったのだから中曽根さんにあいさつに行きましょうと誘われ、末松先生、東さん、奈々子さんと恐る恐る参りました。記念撮影は東小太郎さん。写真を頂いてびっくり。二度とない写真ですので見て下さい。

 翌日のバスツアーが早く終わり、東ご夫妻、唐杉さんとで会場に行き、ていねいに花を見て回りました。北のコーナーのコルデスパーフェクタが見事だったのが印象に残りました。入賞したあけぼの、それにもましてパパ メイヤンがまだまだよい姿だったのでとても嬉しく、また東さんに写真を撮っていただきました。会場が地下街の一隅なので夜もひんやりして花持ちがよかったのでしょう。

 私にとって昭和の最後の一年間は日本ばら会長杯をいただいたのをはじめ、素晴しいことが沢山ありました。 平成元年初日(8日)に福岡バラ会座談会があり、さい先のよい出だしのようですが、昨年あまりについた年でしたので今年はおとなしくしようと思っています。 どうか本年もよろしくお願い致します。

 平成元年1月