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ローズ・ふくおか アーカイブス 1985-2「ばらに寄せて」

ばらに寄せて   瓜生 典清
昭和60年/1985 掲載

 

 ばらの新種が次々に作出されてカタログに新しい名前 が現われるとともに、なつかしい古い品種名が消えてゆ く。われわれ rosarian がそれぞれのばらに寄せる想い も千差万別であろう。

  メサージュとホワイト・プリンスの交配から生まれた “そどおり”は私にはやはり正しく衣通姫でなければな らぬ。允恭天皇の妃であり、皇后忍坂大中姫(おさかの おおなかつひめ)の弟姫であった衣通姫は、恐らく明日 香古墳の壁画にみる美女のように、文字通りその秀でた 容姿は、麗色が衣を通して照り輝いたであろう。その優 雅で清楚な姿そのま」の美しさがこのばらには匂ってい る。また、皇后の嫉を憚って河内国茅淳(ちぬ)の里に身を隠したと言われる一抹の哀れさもそこはかとなく漂う。

 イタリャ語名を付けられたドルチェ・ビータ。朱赤で 剣弁高芯のこの花も、日本語では濁音のドやビがあるために名前として案外嫌われものかも知れない。Dolce Vita は英語ではsweet life 、甘美な生活とでも言うのだろうか。新婚ほやほやのヤング・カップルの甘い生活を指すのだとは思いたくない。ばらに囲まれた優雅な生活を 送るばら会諸兄姉の人生を表現するぴったりの言葉であろう。 Dolce Vita に幸あれ!

 976年9月13日、アムステルダムでの1週間程の国際学会の日程に身も心も疲れ果てて、パリで二.三日を過すべく初めてフランスを訪れた。チェルリー公園広場のジャンヌ・ダルク像の前から出る観光バスはナポレオン王妃ジョセフィーヌの住いであったマル メイゾンを目指 していた。ナポレオンの権勢にあやかり、遠征した国々から原種バラを収集し、大がかりな栽培と品種改良に努め、近代ばらへの発展の基礎を作ったといわれるこムマ ルメイゾンには、ばらはそれほど植えられてなく、多少の株にも9月中旬では盛りには程遠い。ただ、庭園を飾 っていた球根ベゴニヤの鮮かさが印象的であった。このマルメイゾンでお抱えの画家 Pierre-Joseph Rodouteは バラのスケッチに彼の生涯をかけたときく。彼のスケッチ集はロンドンの大英博物館で見る機会を得た。その複刻版が限定出版で発行された由、もし福岡バラ会の会員 の方で所有されている方がおられたら是非一度拝見させて頂きたいものである。数年前、紀伊国屋書店で約30頁 程の複製画集を求めたが、原著のほんのごく一部を複製したものである。しかし作ら、このルドゥーテ描くとこ ろのオールド・ローズのスケッチを眺めるごとにマルメイゾンの庭をなつかしく想いだす。スブニール・ドゥ・ラ・マルメイゾン(Souvenir de la Malmaison) マル メイゾンの想い出ーとでも訳すのか、長たらしい名を持つ中輪の淡いピンクのばらを、伊丹バラ園から取り寄せ愛培したのはもう十数年前のことである。1843年作出のブルボンローズのこのばらが、可愛いい整形花に開花していたのが、いつの間にか一転してカーネーション咲きの形に変わるのをいつも不思議に思っていた。

 三日間のパリ滞在の後、ロンドンを訪れ、二、三日一 人旅の市内観光をした。帰国前日の9月19日友人の紹介 でロンドン在住のMr。 Tomitaに車で郊外を案内して頂いた。小生の希望で連れて行って頂いたかの有名なキューガーデンは、あいにく旱魃の年で多くの植物はすっ かり弱っていた。期待していたばら園も全く散々なものであった。しかしながら、広大な植物公園の規模からみ て、順調な生育状況ならばさぞかし見事なものであろうにと、残念であった。

 同氏からは別にチャーチルの生家なる場処に連れて行って頂いた。普通、ロンドン観光のコースにはなっていないようだが、訪れる人も多いと伺った。室内は一般に開放されていて、書斎やアトリエ等も、興味深く見て廻ったが、庭園が実に広々としていて旱魃の年にも拘らずここのばらの生育は見事であった。特に黄色のばらが多かったのが印象に残る。ピース、天津乙女が丁度花盛りであり、福岡の地ではどちらかといえば育てにくいキングス・ランサムが見事に育っていた。Kings Ransom王様の身代金とは誠にいい名前をつけられたものだ。まばゆいばかりの黄金でなければ王様の身代金にはなれまい。 良くできたときのこの黄ばらの輝きはまさに金貨のそれだ。

映画「ローマの休日」を久し振りにテレビで見た。すでに二、三度、映画やテレビで見た記憶があるが、いず れも日本語の吹き替えであったように思う。今回は字幕スーパーであった。綺麗な英語の会話をききながら、オ ードリー・ヘップバーン扮する処の王妃の恋のアバンチュールを楽しく観賞した。行方不明のヒロインがホテル に戻り、妃殿下の気品と威厳に満ちて侍従達の前に現われたときは、流石に天下の美女、息をのんでその美しさに見惚れる。その時、侍従の口から出た "Her Royal Highness !"(妃殿下)という言葉。このとき、わが愛するばらのロイヤル・ハイネスのもつ名前の意味がヘップバ ーンの美しさと結びついてやっと判った次第。それからはロイヤル・ハイネスの姿に彼女の気品と美しさがだぶって見えてくる。

昭和59年7月