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ローズ・ふくおか アーカイブス 2018 「定められた時と三角フラスコ」

定められた時と三角フラスコ  林 久美子
平成30年/2018 No.29 掲載

三角フラスコ

 「ねぇ三角フラスコいらない?」と丸林先生から何度か尋ねられていた。あのバラ展で活躍する三角フラスコのことだ。かつては中洲玉屋デパートの人気催し物として、会場を飾ったバラたちの、いわばそのパートナーだった三角フラスコ。今は会場に運ばれても半分も使われない。

 「欲しいけど…」自宅二階のかつての子供部屋の押入れは、おもちゃに代わって、さまざまな花籠、花器ですでにいっぱい。バラ歴50年の母の意思を継いでのバラ会。お手伝いをして、もうどれくらいになるだろう。母も亡くなり、わたしだって終活が無縁でなくなってきている。夫からは「物を増やすな」といつも言われている。

 昨年秋、ローズホールからの引っ越しが決まり、秋のバラ展前に、いよいよバラ会の備品を役員で整理することになる。男性2人でやっと持ち上がる古びた木箱に、新聞紙で包まれたそれは、100本以上ある。破棄するのは忍びなく、引き取ってくれる業者があるというのでお願いすることになった。

赤司廣楽園とバラ会

1月の懇親会の前に赤司さんの奥様とお話しすることができました。「あのころが一番、バラ会は華やったねぇ」。玉屋デパートでのバラ展の時代のことだ。わたしは、中学生で玉屋ランチが目的で、母に言われるままに見に行っていた。

 赤司夫人のお話を聞くと、バラ会が結成されたのは昭和27年ということで、わたしが生まれた年なのだ。お借りした資料によると、発起人は飯塚市長をされた猪野鹿次氏。大守加津馬氏、徳永時雄氏、そして赤司廣楽園の先代の赤司新六氏。この4人で1月に産声をあげ、同年5月には、中洲玉屋7階催し場で第1回春のバラ展が開かれている。

当時の中洲玉屋会長田中丸善輔氏を動かしたのは、福岡の戦前からの愛好家が、戦中生き抜いたバラを再び咲かし、バラ展を開催するほどに挿し穂を業者に送って広め、また手に入る品種を収集したという、その努力と熱意だったのだろう。

戦後数年の沈黙を経て、華やかなバラ展が福岡の街にデビューする!

 赤司広次さんの奥様は、そのデビューで苗を販売することになったという。「バラの名前やら、なーんも分らんやろう。でけんと思って、そのあとから主人が行くようになったとよ」

 先代の赤司新六氏は、カボチャ畑をバラ畑にして、癌種病に強い良質な苗を育てたという。その意思を受け継がれた赤司ご夫妻が私財をなげうって赤司ローズホールを建ててくださった。会の発起人のおひとりだった先代から、67年の長きにわたって福岡バラ会を支えてくださったことをお聞きすると。本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。

婦人部会と三角フラスコ

 「あのころはねぇー、婦人部会が楽しかったとよ。わたしより姉(赤司冨代)が熱心でね。

 柿本さん、釜瀬さん、山崎さん、河部(筆者の母)さんやら集まってね。姉はよう世話しよったとよ」と色とりどりの生花を背に、赤司の奥様は懐かしそうに微笑んで話してくださる。

 「柿本さんって名前よく母から聞いていました」「ビール会社の支店長の奥さんでね。バラ展の三角フラスコは柿本さんが寄贈してくれたんよ」

 (三角フラスコの、ビール製造に関わる役割について調べてみると、ビール酵母は麦汁の発酵に際して、次の条件を満たす必要があるそうだ。発酵性、凝集性、増殖性、優れた香味、安定性など、酵母選定の際、三角フラスコレベルで調べる。とある)

 柿本夫人がバラ会場で最初にバラを挿したのは牛乳瓶。しかも第1回の春のバラ展は7階の屋上の一角の部屋。「風が吹いて吹いて…」バラを安定させるのに、夫人は随分気を遣われたことだろう。

 しかしその心配は、その後吹き飛ぶことになる。

 西日本新聞と毎日新聞は、第1回バラ展を夕刊の1面を全面使って、写真と記事で取り上げた。人がいっぱいで、入りきれないほどだった、とある。なんと初日の新入会は77名。 かくて、6階での開催に出世したバラ展は玉屋の人気催事となる。

 昭和30年春の第7回バラ展では、もう牛乳瓶ではなく、1000ml、300mlの三角フラスコに飾られたバラたちの写真が残されている。

時と三角フラスコ

 「バラ展あるし、早く片付けよう」「業者に渡しても二束三文だから」と言われ、自身の終活のことも忘れて、1000mlを3本、300mlを2本、紙バッグに入れた。

 例年にない夏の暑さと少雨で害虫が横行し、秋バラを咲かせるのは大変だった。少しのバラでなんとかデコレーションした。植物園での第134回秋のバラ展が無事に終わり、一息つくと、バラ畑には香りのいいドレスデンやローズポンパドールが咲いている。三角フラスコ300mlに一輪挿してみる。

 実にいい! 台所のカウンターに置くと、首を傾げたポンパドールも、華奢な枝に花弁が多いドレスデンも花首を3センチの口が支え、しかもコップとは違って倒れない。花が自然と俯くので芳しい。

 ドレスデンは気難しいのに香りは特別だ。親のオフェーリアを思わせる、吸い込まれるオールドローズの香り。白っぽいクリームにうっすらピンク、その曖昧さが秘密めいて思える薔薇。高さ15センチほどなのに、直径9センチのフラスコの丸い底がしっかりと支えてくれる。これは嬉しい。つい夫に「あーあ、300mlもっともらっとけばよかった。そしたら、長いテーブルの真ん中に、ズラーっと並べて、お家バラ展してお茶飲めたのに…」

 母が生きていたら、きっとこう言うだろう。「バラ展のフラスコ、もらえただけで御の字やろうもん」

 人はみな同じ方向で生きていく。誰も止めることはできない。たくさんのバラ栽培の先人たちも。
 そうでない人たちも。

 ただ、流れゆく人生の中で薔薇の花に出会えた人は、育て、愛でた人はこう思うだろう。
 いつまでも、いつまでも薔薇とともに生きたいと。

何事にも定められた時がある。天の下のすべての事には時がある。
誕生のための時がある。死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えられたものを根こぎにするのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。……
捜すのに時があり、失ったものとしてあきらめる時がある。
保つのに時があり、捨てるのに時がある。……
わたしは神が人間の子らに携わらせようとしてお与えになった営みを見た。
〔神〕はすべてのものをその時になって美しく造られた。
定めのない時をさえ彼らの心に置き、〔まことの〕神の行われた業を、
人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた。

             伝道の書 3章1~11節(新世界訳聖書)

参考文献 ローズふくおか創立30周年号/1981
福岡バラ会 創立期のバラ展