ばら色の人生Ⅱ 河部範子
平成23年/2011 No.22 掲載
「ローズ・ふくおか」の原稿を娘が書いてくれることになり、私も老人の一筆を添えたいと思います。
私は大正11年生まれ、現在90歳です。バラに巡り合ったのは、昭和38年。長女が中学2年、次女が小学5年の頃だったと思います。当時、私は六本松の小さな庭のある家に住んでいました。小学校の父兄会の帰り、草ケ江のとある家の庭に誘われ、バラに魅せられる事になります。
特に、その頃一世を風靡した”ピース“は淡いクリームにピンクの縁どりで今まで見たこともない大きな花でした。早速植えたのもこの”ピース“だったと思います。とはいえ、何もわからない私は、六本松の電車道沿いにあった小さな苗物屋を訪ねては、教えてもらっていました。
娘たちが通った城西中学校の近くにもう一軒バラを楽しむ家があり、それが豊倉さんのお住まいでした。豊倉さんは、福岡バラ会の会員で、お庭を拝見したのがきっかけで入会することになります。それからバラ作りに夢中になり、1本1本と数を増やしていき、桧原の庭では200本を越すまでになりました。
バラ会の諸先輩を振り返りますと、西公園にお住まいだった釜瀬さんには大変お世話になりました。玉屋開催の春秋バラ展では、コンテストの出品の仕方、デコレーションの見せ方を教えていただきました。また、婦人部の茶話会など思い出がたくさんあります。
さらに、日本バラ会でも著名でいらした太田氏は、若久のご自宅からわざわざうちの庭まで来て下さり、「ここから切る。こうするとよい。」と、手取り足取り剪定の仕方を教えていただいたことを思い出します。。
今はなき、豊倉さん、内藤さん、そのバラ畑と共に忘れることの出来ない方々がおられます。また、田中丸前会長、ローズホールの赤司さん、瓜生先生、久原さん、宮崎さん、田中さんと、多くの方々にお世話になり、バラ作りを楽しむことが出来ました。
現在も、小林夫妻にはいろいろと教えていただいており、まだまだ学び中です。
私の一生は、平和を願う”ピース“に魅せられ、福岡バラ会を通して、バラ作りという素晴らしい趣味に生きることができました。歳をとりましたので、一昨年泣く泣く半分にしたバラ畑ですが、これからも健康に留意し、バラと共に生きていきたいと思います。