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ローズ・ふくおか アーカイブス 2011-1「福岡バラ会創設の記」

福岡バラ会創設の記    辻 博
平成23年度/2011 第22号「福岡バラ会創立60周年記念号」掲載

 戦中、戦後の重苦しい十年が過ぎると、少しは衣食足りて、ゆとりのある市民生活を実感したのは、昭和25・6年の頃だっただろうか。 第二次大戦後、世界平和への願いを込めて名づけられた「ピース」、また、当時来日して好評のオペラ歌手「ヘレントロウベル」の名を冠した名花が話題になると、ひとたびバラ作りに手をかけた人は、飢えをしのぐために芋畑と化した庭に、再び希望の花を咲かせたいと思うのは当然の成り行きだろう。新しい時代は、バラを求めていた。

 大正期に、久留米から大濠へ出店した赤司廣楽園では、花卉・花苗を育成販売していたが、人気上昇中の新バラ苗を求めて多くの人が訪れて、バラ好き仲間の話に花が咲いた。 当時、近くの簡易保険局勤務の大守加津馬さんや同僚の徳永時雄さんも大のバラ好きで、 廣楽園には足繁く立ち寄った。大守さんは東京から福岡赴任の時、家財とともにバラ 30本 も引越してきたという熱烈愛好の方で、栽培歴も長く、気さくな人柄でバラを通じて友人 知人が多かった。(その後、大守さんはバラ会創立発起人の中心人物となる)

 保険局の二人は、バラ愛好者同士の交流を図るサークルを作りたく、如何したものか思案中であった。たまたま、徳永さんが名古屋出張のついでに訪れた「遊花園」というバラ 園のご主人から「福岡には猪野さんという大変なバラ好きの人がいるよ」との話を聞いた。

 二人は、猪野さんへ相談しようと思った。 猪野鹿次氏は、飯塚市長を3期12年勤めた名市長で、若い頃日露戦争従軍、退役後イギリス人の家庭に招かれ、そちらの庭で見た色とりどりに咲く見事なバラに魅せられて、 よしと一念発起、自分もこのような花を咲かせたいと、桜坂の広大な庭園の片隅といっても170坪のバラ畑に300~400本のバラを植栽したという無類のバラ気違いであっ た(ご子息の話)。その人となりは、人格識見に優れ、古武士の如き風格であったという。

 昭和26年の秋の一日、大守さん、徳永さんは桜坂の猪野さんを訪れた。大守さんが例のバラ愛好者の交流会を作りたいと切り出すと猪野さんはきっぱりと「趣味の仲間内の集まりは駄目です。もっと大きく輪を広げた福岡のバラ会を創りなさい。日本バラ会(昭和 23年創立)に負けないバラ会を創りましょう」と大きく飛躍した意図を熱く語られた。 ご両人も何も言うことなく感動し納得した。この初対面の出会いが福岡バラ会創立の運命的契機となった。そこから、猪野鹿次、大守加津馬、徳永時雄、赤司新六、(広楽園代表)、 赤司廣次(事務担当)の発起人5名は福岡バラ会創立へ向かって第一歩を踏み出した。

 冬から翌春にかけて広楽園事務所では、発起人メンバー他九大農学部園芸教室の学生川田さん、有隅さん、横尾さん等、新しい知識と若さをもって加わり、運営計画、段取りを 検討し、行きつくところはバラ談義となった。日が暮れかかると赤司さんは、店の切り盛りをする長女トミヨさんに酒肴の用意をさせた。アルコールが入ればさらに盛り上がった。 赤司さんは高齢ながら、皆の話から何かを得ようと熱心に耳を傾けられた。会合場所の提供や暖かい心遣いが創立メンバーの熱い心をつなぎ、バラ会創立へのエネルギーとなった。 それからも、ご自宅のお座敷広間で総会、打上げなど数十人の茶菓、会食のお世話もされたという。やがて、現在の赤司ローズホールの建設に至っているが、ほんとうに有難いこ とだと思います。

 大守さんは初心者の相談は勿論、種苗の取寄せ・配布、接ぎ穂の融通。事務所の二階では栽培指導もやり、優秀なお弟子さんが輩出している。徳永さんは、大守さんの手足となって仕事をやり、縁の下の力持ち、陰の功労者である。いずれも、己の損得を考えず、目的のために身を尽くす人物が集まったものだ。

 さてここで最も大切なことは、バラ展会場の確定である。福博で一番格式のある玉屋デ パートさんへお願いしようと猪野さん、大守さんが人間ドッグ入院中の玉屋社長田中丸善 八氏を訪問、バラの蘊蓄をお話して懇願すると、その場で「わかりました。会場と催しの一切を引き受けましょう。ご心配なく、日本一のバラ展を開いて下さい」と、涙の出るようなご回答を頂いた。こうして、福岡バラ会は最強のスポンサーを獲得した。

 昭和27年5月10日福岡バラ会は、初代会長猪野鹿次氏を推戴して創立発足した。続いて5月20日より3日間、玉屋6階の催し物会場で第一回バラ展を開催した。何しろバラの展示は初めてで、花を飾る器はなく、各自の家から花瓶や壺を持ち寄り、牛乳瓶を集めた。サッポロビールの支店長さんがビヤホールのジョッキを沢山持参されて大変助かったそうだ。発会のころには、婦人会員もかなりあり、支店長夫人の柿本さん、赤司トミヨ さん、土井さん、助け人もあり、婦人部の皆さんがセンスのある飾りに腕をふるわれた。

 開場の朝、立派に飾りつけ終わってオープンすれば大盛況であった。玉屋宣伝部長の山田さんの言によれば「満員で入れなかった」と。

 また、嬉しいサプライズは初日に77名の新しい会員が入会したことである。

第2回 秋のばら展会場にて 昭和27年10月

後列左から 川田 有隅 大守 林
前列左から 徳永 猪野(初代会長) 赤司(広楽園代表)

 今は昔、 60年前のバラの祭典を体感した人も少なく、口伝えに記録の断片を書き綴ったが、バラを愛する先達の
心意気が、60年間福岡バラ会を支えてきたものだとしみじみ感じている。

猪野鹿次 語録

バラは磨かなければ良い花は咲かない。一枝の剪定でも、一握りの肥料でも消毒でも必ず効果がある

福岡バラ会と日本バラ会は同格である。
従属関係は一切ないから、ぺこぺこすることは、いっちょんなか(全くない)