ばら色の人生 林 久美子
平成23年/2011 No.22 掲載
「どうぞご自由にお入りください」と、木の札が柴折戸に架けてある。躊躇した。前日までの仕事で身体は疲れている。早く帰らないと、そう思いつつ、内気な次女のPTAの帰りのことだった。その家は、小学校通学路のわき道にあった。柴折戸の合間から見える華やぎに声をかけられたかのように、足を踏み入れた。
戦後数十年経って始めてみる薔薇園だった。暗い木の塀のある家並みから、突然現れたそれは秘密の花園のようだった。かぐわしい香りとばら色の輝きが、目に飛び込んでくる。
暫し言葉を失った。「バラは手が要りますのよ」初老の婦人が花を採りながら、そう声をかけてくれた。───── 疲れが身体からすーっと抜けていくのを感じた。
これが、母から聞いたばら色の人生の始まりである。
それから四十数年、ばらに癒されて生きてきた。二度の引越しがあり、今の庭がある。柴折戸は無い。替わりに、八十の手習いのトールペインティングの表札、ピンクのばらの絵のそれは、ミニバラに囲まれて掛けてある。庭は、公道沿いにガーデニングされ、いわば、いつでもオープンガーデンなのだ。冬の剪定に、元肥入れ、厳しい夏の雑草取り、何より気が抜けない六十リットルの定期消毒、本当にバラは手が要るのだ。
しかし、五月と十月、栽培人にとって至福の時が訪れる。畑の中を通り、バラ達に声をかけながら鑑賞する。自分のために採るバラは少しにする。なぜなら、庭に咲き誇っているのを見るのが好きなのだ。それと、この時期に訪れる見学者の為でもあるのだ。
「お母さん、疲れるからもう家に入ったら」「そおねぇ、あの人達、前にも来られたからバラ会勧めようか」、栽培人にとって一息つけるシーズンも母は忙しい。
この秋は、そうはいかなかった。バラ展前日のことであった。石垣の上のジュリアを取ろうと足を踏み外し、脊髄を圧迫骨折してしまったのだ。油断大敵、二か月の入院となる。
バラの香りは、六種類に大別されるといわれるが、十月とはいえ秋らしからぬ陽気の中、バケツいっぱいの車に積まれたバラの花たちは、その色彩だけでなく、ティーだのフルーティーだのスパイシーだのダマスクだのと、むせかえり賑わっている。バラ展で綺麗な姿を披露した後、病室へ・・・主人に満開を見せられないバラたちは、採っては飾られる。
「すまないねぇ、あなたの分も好きなだけとりなさい」と母は言う。それで車の中は、どんなデパートの香水売り場よりも強烈な香りに包まれる。
一ヶ月が経ち、歩行器で歩けるようになった母は、病室に飾られたバラを、ナースステーションや部屋替えになった患者さん達のところまで持って行く─────これが母のバラ作りのコンセプトなのだ。それは、あの狂気のような大戦の時代を走り抜けた人が、神がもたらした慰めの表明に感動し、比類なき香りを放つバラたちに命の喜びを感じたから得たもの。今年九十歳になる母にとって、その半生は、ばらによって生かされた、人生である。
*** わたしは、このように苦労して弱い者たちを援助しなければならないこと、 また、主イエスご自身の言われる『受けるより与える方が幸福である』との 言葉を覚えておかねばならないことを、すべての点であなた方に示したのです。 *** 使途たちの活動二十章三十五節 (新世界訳聖書)