うちの宿六(六の二) 原田 ハル子
(早飯、早証、早雪隠の巻)
昭和57年/1982 掲載
うちの宿六殿が若い頃よく云いました。
軍隊では早飯早転早雪隠と、之3つを備へて居ないと良い兵隊とは云へず進級も遅れると、何時も内務班長殿から云われたそうです。 其の点、我が舞愛する宿六殿は、早転はともかく、あとの2つは駄目だった様で、2度の服役で、やっと帰りは兵長殿で帰って来ました。 まあ無事に帰って来て呉れたと云う事は逃げ足だけは人一倍早やかったと云う事ではないでせうか。「ホホホ ......。」 ところが此の早飯と云う言葉がバラ作りに非常に関係が有ると云う事を、最近しみじみと知りました。
宿六殿は毎年大苗、新苗の植付の季節に、田主丸町のバラの生産者今村梅氏と一緒に今村氏の車で2回程宇部バラ会の原田会長宅にバラ苗納入について行きますが、 其の節必ず会長宅で昼食は立派な折詰の五目寿司を戴きますそうです。 其の時は原田会長と今村氏と3人で一諸に戴くそうです。毎度の事で主人も今村氏も、必死の思いで大急ぎで載くそうですが、やっと主人 が3分の1程喰べた頃には原田会長はもうペロリと喰べ終られて、御茶を呑まれて居るそうです。そっと横目で今村氏の方を眺めると、之もまだ半分位いをやっと喰べ終ったばかりで、やはり悪戦苦闘の真最中だそうです。 2人共目の玉を白黒させ乍ら残りを残りを懸命にかき込むそうですが、やがてあきらめた宿六殿は半分、今村氏は3分1位いを残して降参をするそうです。 2人共喰べるのも遅いが胃袋の方も、とうてい原田会長には及ばないと云う事でせう。
帰りの車の中で、はるかに宇部が遠く成った頃、2人共丁度ロを合せた様に 「ワハハ......」「ワハハ.......」の大笑いをして、「かなわんなあ、あんなに食事が早くちゃとても私しゃ、飯の味どころか、胸がつかえて食へやせんばい」と之は宿六殿。「ほんと、ほんと。早いなあ、会長わ」と之は今村氏。 「私も3分の1は残したばい」之も今村氏。あとは2人共溜息と苦笑ばかりだったそうです。 車の中で一致した意見は、「日本バラ会に人多しと云えども早飯食いのナンバーワンは原田会長だろう」と云う事だったそうです。
ところが世の中は広いものですね。そして又灯台元暗しと云う事でせうか、 昨年の有る会合で太田先生の奥様と席を同じゅうする機会が有りましたが、其の席で奥様の御話を伺って、又2度びっくり。 之からは太田先生の奥様の御話です。
有る会合で太田先生と宇部の原田会長が一諸に食事をされたと想って下さい。 食事が終りまして、原田会長が、「わたしも食事は早い方ですが太田さんにはかなわんなあ」と完全にしっぽを巻かれたそうです。太田先生の奥様の話は続きます。先生の御給事で御飯を盛って差上げて、やっと自分の御茶碗に御飯をよそおうとしますと、「ハイお替り」と茶碗を差出され、あわてて自分のを置かれて、先生の御飯をよそって上げ、今度は大丈夫とばかり自分の御茶碗にやっとよそうて箸を持ちかけますと、「ハイお替り」とやられるそうで、あきらめて、先生が食事が終られるのを待たれて自分の御食事はされるそうです。
此の御話を御聞きしまして以来、うちの宿六殿は、会合の度の食事が有る時は、太田先生、原田会長の食事振りに、そっと観察を致して居りますそうですが、いづれおとらぬ其の健啖振り、見る見る中に目の前の皿が気持の良い様に空に成って行きまして、実にそう快な気持に成ると申して居りました。 其の点、うちの宿六殿と来たら、コッテ牛が草をはむ様に、モグリ、モグリ、全く嫌に成ります。太田先生も原田会長も多忙な身にもかかわらず、数百本のバラを作られて立派な花を咲かせて居られる其の原動力が、何処に有りますのか、わかりました様な気が致しました。 大変失礼な事を書きましてごめんなさい。