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ローズ・ふくおか アーカイブス 1991-4「薔薇の名前」

薔薇の名前   辛島 圀子
平成3年/1991 No.6 掲載

 薇のなまえと書くとウンベルト・フーコの小説を思いうかべる人が多いと思いますが、これはそんな大した話ではなく、まこと我が愛しの薔薇の花のなまえのことなのです。

ミッシェル メイヤン

 長い冬が終わりやがて薔薇の蕾が開き始める頃になると、私は朝、目がさめると、まづ庭にとび出します。行先は勿論 ミッシェル・メイヤン の前。少しサーモンがかったピンクの花の前に立って「お早う。ごきげんいかが」 と声をかけるのです。彼女達もほほえみかけるように私を見ます。この時私は文字通り最高に幸せで、すっかり感激してしまいます。この花の素晴しさは今更云うまでもありませんが、優しい色と風情のある姿、仄かな香りのどれをとってもよし、それでいて少しも高ぶったところがなく、あくまでも慎ましやかに多勢の中に咲いてくれます。その上 ミシェル・メイヤン と名前も愛らしく思わず口元がゆるんでくるような気さえするのです。作出者のメイヤンが愛する娘さんの名前をつけたと云う話をきくと一層嬉しくなってしまいます。

マダム ヴィオーレ

 渋いラベンダー色の姿そのままの名前をもった花。彼女の前に佇っと、中世の城の奥深く棲む貴婦人が浮かびます。裾を引いたドレスに身を包み、騎士にかしずかれた優雅な女人。でも彼女は余り美しすぎてほほえむことを忘れてしまいました。そう、マダム・ヴィオーレには香りがないのです。「香りのない薔薇は笑わない美人のようだ」と昔誰かにきいたことがありました。「香りがなくてもいいんだ。花型がすばらしいから」とあるコンテスト派の若い男性の言葉を思い出します。そんなものなのでしょうか。

ベーゼ

 銀を帯びた乳白色の弁端に一寸ピンクを刷いた、いかにもフランスらしいこの花にマルランは「口づけ」と名づけました。弁の先をポッと染めた本当にベーゼと呼ぶそのままの可憐花なのに、どうしてか枝には鋭い刺をいっぱいつけています。きっと浮いた心にご用心と暗に警告をしているのかも知れません。マルランは何てしゃれた名前をつけたものでしょう。

オフェリア

 ハムレットの美しい女主人公の名にふさわしいクリームがかった薄いピンクの花に甘い芳香を持っています。私のオフェリアは何故かステムが短かく専ら一輪挿しで楽しんでいます。この花に顔をよせると清らかな乙女の香りがするのも嬉しいことです。

スーヴニール ド プレジデント プリュムコック

 この大そうな名前は多分フランスの偉大なプレジデントの想い出にペリエールがつけたものでしょう。なるほど透明な濃いローズと強い香りは、たった一輪でも他を圧するほど力強く遠くから輝いて見えます。プリュムコック氏も天国からささやかな私の庭に咲く我が名の大輪を満足して見て居られることと、その一輪の彼の華やかだった生涯を偲ぶものです。

ネージュ パルファム

 これもフランスの「雪香水」と云う雪の白さに素晴らしい香りのあるマルランの作品。花の形は平凡ながら香りは白ばかりでなくすべての薔薇の中でも最高と思います。それに名前のひびきもよく作り易いのに余り植える人がいないのはどうしてでしょう。花形がコンテストに向かない為に押しやられているとしたら誠に残念です。雪の香りがどんなに素晴らしいかご自分で確かめて下さい。

プルミエ バル

 初めての舞踏会」の名の通り十六、七の少女がこれから社交界へデビューする時の最初の舞踏会へ。喜びと希望と少しの恥じらいを白いドレス に包み馬車に乗りこみます。まさに乙女の姿そのままの愛らしい華やかな薔薇です。舞踏会ではみんなの目を引きつけ素敵なお相手が見つかることでしょう。

 イレーネ チュルカ

 剱弁高芯の典型的なイギリスの花。深い色彩は英国の格調高いレディを思わせます。一寸近づき難いけれど、この花が咲くと何か安心感があり、心から落ち着きます。そんなしっとりとした気持を見る人に与える大人の花です。

 私のお気に入りの薔薇を幾つか並べてみましたが、多分贔屓もいいとこだと思われたでしょう。庭の薔薇も好きなものに段々顔ぶれが変わってきました。姿よく香りのあるものは勿論のこと、名前も美しさにふさわしいものであってこそ初めて薔薇が花の女王であると信じています。そうでしょう。花の前に立って「ごきげんいかが」と呼びかける時はやっぱり素敵な名前であってほしいと思いますもの。

 薔薇の作出家にお願いしたいのは世界で唯一の美しい薔薇を作り出され、さて名前をつける時は最もふさわしいよい名前をつけて下さい。唇にのせた時、とても良い香りがするような素敵な名前を。