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ローズ・ふくおか アーカイブス 2003-13 庚申薔薇 ( KOUSHINBARA ) と私

庚申薔薇と私    中岡 ユリ
( KOUSHINBARA )
平成15年/2003 No.13 掲載

 幼女時代、最初に覚えた薔薇の名が庚申薔薇(こうしんばら)と云うと、“ええっ?„ と驚かれるのが常だが、名より先に花と出あい幼な心に花姿が印象深く残ったのだから不思議な縁である。

 1930年代の東京、郡部から区政に入ったばかりの池袋という住宅地で私は育ったのだがまだ武蔵野丘陵地帯の景が残っていて、丘あり原あり川ありで、子どもたちは原っぱの点在を十分利用して楽しんでいた。女の子達でも連れ立って原っぱに行き、白つめ草の花冠を編んで王女様ごっこをしたり、花びらの首飾りを作ったり .... 私のお気に入りの原っぱは一見林のようにみえる邸跡の空地で、近所のおとな達も西洋館の原といっていた。勿論、館はなく林にみえる木立囲みの空き地で桜や椿も咲くし、土台石の間からつくしも出るし、たんぽぽ、すみれ、花摘みには事欠かなかった。その中に庚申薔薇の樹もあった。丈が低いので赤い花が咲くと、きれいだし香が強いからターゲットにするのだが緑葉の季節も遊んでいるのでその樹の棘を知っていて花をとることはなかった。

 私は今も変わらない好奇心の旺盛さで、母を引っ張っていって花の名を尋ねた。母は即座に”庚申薔薇„と答えてくれた。文字もわからない年頃で ”こうしんばら、こうしんばら„ と呪文のように繰り返して覚えたらしい。母はついでに私を土手の野ばらのところに連れていき、白い小さな花を一杯つけている野ばらを”これは野ばら„と、違いを実物で示してくれた。その記憶は今でも原風景として私の心象風景に現れる。感動に年齢はないし、感動は増幅して残るものだと、近頃しみじみ思う。

 時代は大正ロマンのあとを受けた昭和、太平洋戦争の勃発するまでは少女雑誌の挿絵や口絵の美少女達も大輪の西洋薔薇、今で云うハイブリットの薔薇を抱えて夢を撒き散らしてくれたから私もその夢の中で夢を育み庚申薔薇のことは忘れるともなく忘れていた。

 女学校二年生の頃だったと思う。少女期らしい論争が巻きおこったことがあった。シューベルトの野ばらを音楽の時間に学んだ頃、優等生 No.1 のクラスメートが「この歌詞変だと思わない?」と発言「野ばらって白い花でしょ」「赤くはないわよネ」「くれない匂うはおかしい」「野ばらだって赤い花があるのじゃないかしら」「うす桃色を見たワ」けんけんごうごう。私はその時突嗟に庚申薔薇の記憶が甦り「野中のばらだから野ばらとは限らないわよ、私紅いばらを知ってるもの」よけいなこと云ったものだ。追求されて「こうしんばら」というと、クラスメートは奇声をあげた末、誰も知らなくて「学者ね」と冷やかされた。放課後わざわざ音楽教師に審判をもちこんだ。勿論私たちは訳詞で習っているのでゲーテの原詩を知っているわけではない。音楽教師は本職テノール歌手でノーブルなシューベルトと愛称を奉っていた教師だったが、その時の答えが、今思えば枠、当時はトンチンカンでわからなかった。小生意気な少女達を黙らせたことは妙薬だった。”君達が大人になって Lieben したらわかることだ。その時思い出して考えなさい„ 沈黙と騒然に終った。“リーベ» ドイツ語の学び初めに学生間ではよく流行った熟語さまざまを思い出すと、今でもおかしさがこみあげてくる。

 マリー・アントワネットの庭園も設計したという、お抱え絵師みたいなルドゥーテの薔薇。細密な水彩画のプリントをみると、当時もうヨーロッパにはロサ・キネンシス・オールドが入っていたらしく、ブラッシュ・チャイナの風情など、ゲーテぞっこんの乙女に見たてられそうで、あらためて中国薔薇の歴史とそのひろがりに目をむけさせられた。

 中国では宗代(AD900 ~ 1279)には、野生の棘のある白木香から棘のない木香が育成されていたようだし、庚申薔薇は中国産で中国名「長春花」----... ロサ・キネンシス・センパフローレンス という品種かそれに近いものといわれていると荻巣樹徳は“幻の植物を追って„ という自著の中に書いている。庚申薔薇のルーツは、ほぼ確かなところがわかった。オールド・ローズでは中国薔薇の総称をロサ・キネンシスといっている。

 そして、王朝文学の華、源氏物語「賢木の巻」の「階(きざはし)のもとの薔薇(そうび)けしきばかり咲きて春秋の花盛りよりもしめやかにおかしきほどになるにも」云々も、清少納言の「そうびはちかくて枝のさまなるなどはむつかしけれどおかし ----------- 」云々も、多分庚申ばらだろうと云われているそうだ。中国名長春花=庚申ばらと、国際ばら会の亀山寧氏も著書に書かれている。ジャンルは違うが衣裳の歴史の中に色目(いろめ)「薔薇重ね」(そうびがさね)というのがある。 表(おもて)紅・裏(うら)紫。「蘇芳重ね」(すおうがさね)より明るい紅のようだ。若い女御が流行を競ったのではないだろうか。おしゃれと流行は、平安朝であろうと、現代であろうと変わりはないように思う。すると紫式部も源氏物語もぐっと近づいてくる。現代のフェラガモやグッチにうつつをぬかす女心に共通に思えて、当時の異国、中国からの輸入ものをいちはやく取入れたのが王朝文化の担い手たちではなかったかと思える。時代はくだって、安土・桃山 時代になると能装束の唐織に薔薇のデザインがみられるという。私は実物をみていないので、一度母校の図書館にでもいって図録を調べたいと思っている。

 今日は日中国交回復30周年ということで、中国に招かれて北京にいった日本人も多数だったときく。私の友人もその一人で観光でなく中国の現状を見聞してきたそうで、土産話をもってきてくれた。丁度、庚申薔薇の花が咲いていたので、房咲きの小枝を差し上げると、驚いたようで、“中国の花に似ている、強い香も一一一„といいながら、レセプション会場には八重千重の赤い花が沢山飾ってあって、日本の花の香とは違うが、花の香が満ちていたと聞かせてくれた。

 庚申薔薇の由来をかいつまんで話すと、日本名庚申薔薇=中国名長春花のその長い歴史に驚きながら“友好は今にはじまることじゃないのね。この花一つにもずーっと伝わって きてるんだ。それを今私は頂いた„ と楽しそうに帰っていった。

 ピースというH・T のながい人気もリンカーンのレッドも、そして片隅でひっそり香っているような長い歴史の庚申薔薇オリエンタル・ローズもふりむけば人類の祖先同様、薔薇も祖先は同じだ。戦火の中近東の、ダマスクの薔薇たちも平和に育て咲かせたいものと思う。地球の何処も同じ薔薇ファミリーであるように。

2002年 秋

(参考資料) 「幻の植物を追って」 荻巣&mnsp;樹徳著
     「ルドゥーテのばら図録」 旧岩波文庫判  
     「源氏物語・枕草子」訳者不明